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晴れのち曇りの北海道
〜後編:駅の宿ひらふ宿泊ルポ〜 その1

トワイライトエクスプレスで念願の北海道に降り立ち、これから観光しつつ、向かう先は今回の旅のもう一つのメインイベントであり、今回の旅のそもそもの目的地、「駅の宿ひらふ」ことJR函館本線比羅夫駅。

渡道記後編は、その道中とドタバタの宿泊ルポ
です。今度は今度で内容的にフツーの旅行記で、ちょっと「鉄分」が薄いので、事前にお断りを。比羅夫だけでいいやという方はその3からどうぞ。


◇道内の旅程


この旅の計画時、この旅で自分がこだわりたかったことの一つが『比羅夫駅へは列車で入る』ということ。
そして連れのこだわりは『比羅夫駅のホームでバーベキュー!』。ただこれは比羅夫駅に18時頃までに入る必要がある。
そして比羅夫駅宿泊の「取材」をしたいし、どうせなら比羅夫の駅の空気感を満喫したいという自分としては、さらに早く、『比羅夫駅へは明るいうちに到着したい』という思いがあった。

が、それらを全て叶えようとした場合、札幌発は14時14分。これで比羅夫着は16時51分。緯度の高い北海道では、この季節、その時刻でも既に薄暗いくらいだろう。
地図を眺めていると札幌から比羅夫なんて「軽いお出かけ」程度の感覚だったが、実際は2時間半以上もかかる。この列車が比羅夫駅手前の倶知安駅で35分の「バカ停」をすることもあるが、何よりなめてはいけない「デッカイドー」である。(実際何よりもネックなのは小樽以遠の列車本数の少なさなのだが)

トワイライトエクスプレスの札幌駅着が10時直前。遅くとも札幌を14時過ぎに出るということは、観光するにしても札幌か小樽の駅前を少しうろつく程度だろう。比羅夫駅周辺は徒歩圏では何もないし、せっかく北海道まで来たのにこれではあまりに味気ない。そして何より翌日の動きにも相当の制限がかかる。断腸の思いだが、何かと枷になってくる最初の条件、『比羅夫駅へは列車で入る』は断念することにした。

結局札幌からはレンタカーを使用する。しかしおかげで行動範囲は格段に広がるし、JR運賃の「レール&レンタカー」割引も、この距離だと恩恵は少なくはなかった。

今回の旅は「駅取材」ではないので、連れに近辺で面白そうなところをピックアップしてもらい、それを金と時間を勘案しながら取捨選択して自分が旅程を組む。彼女との旅行は大体いつもこんなスタンスだ。(そして道中で自分が欲を出して寄り道して、予定が狂うのもいつものスタンスだ(笑))

組まれた旅程は「札幌→小樽運河→ニッカウヰスキー余市蒸留所→神威岬→神恵内温泉→比羅夫駅」。

ちなみにこの旅程で自分が楽しみにしていたのは、まず「積丹のウニ丼!」
かれこれ20年前、北海道を初めて訪れた際の利尻島で、やはり本場のウニ丼屋がたくさんあった。しかし2,500円。貧乏学生にはとても手が出せず、揚句に利尻富士から下山した頃の町は商店が全て閉まっており、その日の晩は「缶ビールとカンパンと魚肉ソーセージ」になった。今となってはよい思い出だが、しかし今こそそのリベンジの時。20年越しのウニ丼を食べたい。

そしてもう一つ見てみたいと思ったのが、昔テレビで悲痛な気持ちで報道を見ていた豊浜トンネルの周辺。渡道の前に自分の周囲ではこの話をしてもあまり覚えている人はいなかったが、自分にとっては衝撃の、現役国道トンネル崩落の事故現場である。
「駅レン」が見つからず、しばし札幌駅をウロウロ。初めて見る札幌駅のこの出入口の、道路向かいにあった。
2日間の足となったレンタカー、日産マーチ。なぜか旭川ナンバーだった。

◇余市のローソク岩、そして


さて札幌でレンタカーの手続きを済ませ小樽へ、そして余市へ移動する。
余市の海岸には「ローソク岩」という奇岩がある。余市の観光ガイドにはニッカの蒸留所とともに大概紹介されているが、現地は全く観光地化されておらず、小さな船溜まりに車を停めて、遠巻きに眺めた。

この辺りは既に雷電国道、つまりニセコへ向かう函館本線沿いの国道5号線から外れた国道229号線沿いで、積丹半島基部の北岸にあたる。隣の古平町との境界に近い。そしてこの辺りに豊浜トンネルがある。

この事故は平成8年2月、トンネル直上、古平町側の坑口付近で、最大高さ70メートル、幅50メートル、厚さ13メートル、重量2.7万トンという巨大岩盤が崩落してトンネルを圧壊し、そこに通行中のバスと乗用車が巻き込まれ、20人全員が亡くなったという大事故だった。

豊浜トンネル付近の現状は、気にはなっていたが事前に特に調べていなかった。この付近を通る際、新トンネルの名前を見れば分かるだろうと思っていたが、どうもこの辺り新しそうな長く幅員の広いトンネルが多い。長いトンネル間の僅かな隙間で事故の安全祈念碑でもないか、車を停めて探したが見つからなかったし、事故以来全面的に国道のルートそのものを変えたみたいだ。おかげでローソク岩もひどく見つけづらかった。これもルート変更の証拠だろう。海側の旧国道からはよく見えたのだろう、そう思いこの場を離れた。

が、帰って調べてびっくり、崩落した豊浜トンネルは既に新道で、崩落した古平町側の坑口付近を内陸側に掘り直して洞内でルートを変え、一つ西のセタカムイトンネルの中間に接続して、1本の豊浜トンネルとして復旧したらしい。
そう言えば新しいトンネルのわりに途中に大きなカーブがあり、ぐにょーんと不自然に大きく方向を変えるので、妙に印象に残ったトンネルがあった。あれが豊浜トンネルそのものだったのだ。

ちなみに崩落し、廃ルートとなった古平側坑口付近へは、今は船でしかアクセスできないらしい。また祈念碑(慰霊碑)は新しい豊浜トンネル、つまり旧セタカムイトンネル古平側坑口付近にあったようだ。調べると、自分が車を停めて探したのは、豊浜トンネルの余市側だった。
日常に車を使い、おそらく人並み以上に国道トンネルを使ってきた自分にとって、この事故は傷まし過ぎ、犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈りしたいと思います。
小樽運河。小樽辺りから天候が回復した。
昼前の小樽で小腹がすいたので買った「ばくだん焼き」。ソフトボールほどもあるタコ焼きのようなもの。
ニッカウヰスキー余市蒸留所。余市駅から意外に近かった。
余市の小さな船溜まりから眺めたローソク岩。この近くに豊浜トンネルがある。

◇積丹のウニ丼!


さて先へ進む。積丹半島の突端も近づいてきた。時刻はそろそろ14時。正午前の小樽で「ばくだん焼き」なるものを二人で分けて食べたが(しかし前編から食ってばっかりや…)、ぼちぼち本格的に腹も減ってきたし、そろそろ「ウニ丼」の幟を掲げる店がちらほら現れてきている。「元祖」「本家」みたいな謳い文句が並ぶが、いずれもこの辺りの網元直営の店らしい。

適当に店に入り、自分は「ウニ丼」、連れはウニ、イクラ、イカの「三色丼」を頼んだ。値段はやはり20年前に手が出なかったものと似たものだが、今は社会人だ。躊躇はしない。
で、これが超美味い!食べ物のレポートで「美味い」というフレーズはご法度らしいが、それ以外言葉がない。まず多分ウニが苦手な人にとって、その原因であろう独特の臭みがない。丼メシにごってりウニが盛られているが、豊潤でいて、しかし胃がもたれるような嫌なコッテリ感がなく、…なんだか某マンガのようになりそうなのでこの辺でやめておこう(笑)、ただしかし純粋に、やっぱり美味い!
ペロリと完食し、ここでこの旅の準メインイベントの一つは終了。(なお連れのいくらとイカも分けてもらったが、これも抜群で、もし次行ったらどちらを頼むか迷うくらいでした。)
ウニ丼!、の前に立ち寄った積丹半島東の突端積丹岬。島武意海岸への人道トンネル。
日本の渚百選に選ばれた島武意海岸の展望台から。海の透明度がスゴイ。
そして、積丹のウニ丼。すごくウマイ。
連れの食べていた三色丼。これもウマイ。
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