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晴れのち曇りの北海道
〜後編:駅の宿ひらふ宿泊ルポ〜 その3

◇ひらふのアウトライン

比羅夫駅はニセコアンヌプリと蝦夷富士羊蹄山の間に位置する、基本的に山中の駅で、駅前には「駅の宿ひらふ」オーナーさん宅を含め、数軒の民家があるばかり。駅向かいに大きな民宿のような建物もあるが、明らかに廃館である。かつてはスキー客で賑わっていたのだろうか。そしてその他には何もない。
駅前の広場正面には「駅の宿ひらふ」の看板を掲げた山小屋のような駅舎があり、ホームへ出ると下り方にはニセコアンヌプリが聳える。が、今日は雲をかぶって裾野しか見えない。

駅舎の事務室が「駅の宿ひらふ」のフロント兼ロビーになっている。インターホンで到着を告げ、チェックイン手続きをする。オーナーさんは世話好き、話好きといった雰囲気の、関西なまりのある人だ。京都出身らしい。駅の宿の利用方法を丁寧に説明してくれる。

ここで今更ながら「駅の宿ひらふ」について。「駅の宿ひらふ」とは、駅舎そのものを使用した民宿で、これは全国で唯一のものだ。

函館本線比羅夫駅は明治37年、路線が国有化されるよりも以前に開業した歴史ある駅。これが昭和57年、荷物扱いの廃止と共に窓口営業も廃止(無人化)、次いで昭和60年運転要員の配置もなくなり、正真正銘の無人駅となった。そこに駅舎の有効活用を考えたオーナーが国鉄と交渉し、駅舎を(厳密には待合室を除いた一部を)用途転用して借り上げて、昭和63年に民宿として開業したのが「駅の宿ひらふ」、という沿革だ。

施設としては、駅舎の駅事務室スペースを利用しており、1階は前述のとおりフロント・キッチン兼ロビー・食堂で、ここにトイレと飲み物の手動(?)自販機、インターネットPCなどもある。2階に客室が2室あり、男女別相部屋の計7名用となっている。
その他駅舎脇とホーム上に宿泊用のコテージが2棟あり、さらにホーム上にログハウスの浴室がある。
オーナーの方針らしくあまり宣伝はされていないが、当初駅自体に泊まれることが珍しく、評判になった。さらに現在は期間限定だがホーム上でバーベキューができ、人気を博している。
駅舎に窓口はなく、駅の宿ひらふのフロントがある。
比羅夫駅のホーム側。今日の食卓はこの軒下。
日中は少しか晴れたものの、夕方からはどんどん雲が厚くなった。ニセコアンヌプリも雲をかぶっている。
ホーム上の4人用コテージ「のるて」。今日の宿だ。

◇駅の宿ひらふと私


今回我々がここを訪れたのは、再三述べているとおり、連れからのリクエスト。ではその元はというと、自分がその存在を教えたからなのだが、さらに自分がその存在を知ったのはというと、それはあるテレビ番組からだった。しかもそれは「駅の宿ひらふ」の開業ドキュメンタリーで、つまりおそらくは昭和末期のこと。当時の自分は中学2年生(小学生くらいの記憶と思っていたが、時期的に逆算すると大体その辺り)で、鉄道への興味を殆ど失いかけていた頃なのだが、この番組の一部のシーンは今でも鮮明に覚えている。そのシーンは次のようなものだった。

ある若い女性が一人、鈍行列車に乗っている。その頃ある小さな無人駅では、一人の青年が駅舎の屋根裏部屋に設えたようなベッドにベッドメーキングをしていた。そして女性がその駅に降り立つと、青年がホームに迎えに出る。
「どうもー、こんにちはー、来ちゃいました。」「いらっしゃい、ようこそようこそ。」みたいなやり取りをしていたと思うが、実はこの二人は新婚さんで、女性が初めて新居としてのこの駅、つまり比羅夫駅を訪れた、というシーンだった。
(設定は、記憶がうつろで、この青年は民宿の開業準備の作業中だが、開業直後の「準備中」だったかもしれないし、また「新居」だったか職場だったかも定かではないが。)
それから女性はインタビュアーから、「経済的な不安はないですか?」的な質問も受け、「もう来ちゃったんだし、なんとかなるでしょ。」というような返答を、笑顔でしていたように思う。

番組の内容はもちろん無人駅の活用事例としての、民宿「駅の宿ひらふ」の開業を追ったもので、その経緯やオーナーさんのインタビューなどが構成のメインだったと記憶しているが、自分がここまで印象深く覚えていたのは、それよりも、多分結婚を、結婚式ではなく、生活としての結婚を、初めてビジュアルとして見たからではないかと思っている。
列車から降り立った女性と、それを迎える男性は、共になんてことはない普段着で、(カメラが回っていたからではあろうが)ちょっと照れたように、少しよそよそしく挨拶する様が、子供ながらに不思議な一方、妙にリアルに感じられ、強烈に印象に残ったのだと思う。

そしていつかこの比羅夫駅に、宿泊客として、もしかしたら、僭越で赤面ものながら、この夫婦の生活の足しになるために、行ってみたいと思うようになっていた。遥かなる北海道を訪れるなんて想像だにできない、別世界の話としての、お子様のファンタジーではあったが。

しかしその印象は今なお鮮明で、実はこのサイトの、駅としての比羅夫駅の「取材」は既に3年前の夏に済ませており、その際駅付近にある複数の子供用自転車や遊具に、勝手に感慨深いものを感じていた。そして今回、ついに宿泊客としてこの比羅夫駅訪問を果たしたのである。
だからこの旅行記、初っ端から「連れが強硬に…」みたいなきっかけと言ってきたが、実は自分にも自分なりの思いはあったのだ。

が、この話には実はオチがある。今回訪れてオーナーさんにその話をしてみると、「ああ、そんな番組撮ったねえ。」とは言われるが、微妙に話が合わない。自分もさすがに遠い記憶なので明確な話の擦り合わせが利かない。
そしてオーナーさんがポツリ。「あれは結婚した時だから、…10年くらい前かなあ。」

…ん?

いやそんなはずはない、10年前なら自分はもう社会人だ。絶対にそんなレベルの記憶じゃない。

聞くと、自分がテレビで見たあの青年は、どうやら先代オーナーだったらしい。今目の前にいるのは二代目オーナーで、そして偶然にもやはり結婚時に、テレビ取材を受けていたらしい。
確かに今日我々を出迎えてくれたオーナーさんの第一印象は、「意外に若い人だな」だった。納得、と同時に、このオーナーさんには何の責任もないが、ちょっと拍子抜けした。

だから前述の、比羅夫駅の活用について国鉄へ談判したというのは、先代ということになる。しかし先代の意志を継ぎ、さらに拡大発展させている方(ログハウスなどはこの方の代からだ)、何より親切な一方フランクで、かつあまり「入りすぎてこない」方、客とは絶妙な距離感を保つ、非常に好ましい方だ。そして今はこのオーナーの「駅の宿ひらふ」だ。とにかく今日はそれを満喫しようと思う。
駅事務室を改修した。フロント兼ロビー。
サボなども飾られていました。

◇猫のしま太郎


我々が予約したのはホーム上にあるログハウスのコテージ「のるて」。今日の客は我々と、その他はもう一つのコテージ「すーる」に、関東からの素泊まり客がくるらしく、駅舎内の客室は今日は空室らしい。夏と秋の中間の、ちょっとした閑散期のようだ。
ホームバーベキューやロビーなどは宿泊客同士の交流を願っての趣向のようだが、その辺りを利用するのは今日は我々だけらしい。

もう日も落ち、ほぼ夜の暗さとなった。オーナーさんは我々のために、駅舎の軒下でバーベキューの準備をしてくれている。

そしてその傍らにいるのは、この比羅夫駅の人気者、猫のしま太郎だ。

しま太郎はオーナーさんの飼い猫というわけではなく、いつしかこの駅に居ついてしまった猫で、本当に人懐こく、人の膝の上で暖を取るのが大好きらしい。ネット上の様々なブログに登場している人気者だが、多くの画像で人の膝の上にいる。
「しまはね、利口なんですよ。」とオーナーさんは言う。駅舎待合室かホームにいて、絶対に宿泊エリアには入らない(らしい)。またわりと何でも食べるそうだが、駅の宿名物のホームのバーベキューの時に、食べ物を盗み食いなども絶対にしないそうだ。そして同じ食べ物でも「どうぞ」と差し出すと、食べるのだと言う。
入ってはいけない場所、食べてはいけない物、というより食べ物などはあげれば食べるのだから、総じて「やってはいけないこと」をしっかりわきまえているのだ。これで人見知り知らずの人懐こさだから、そりゃ人気者にもなる。しま太郎に惚れ込んで猫を飼い出す人がいたら、逆に不幸だと思うレベルだ。(いや、ウチの猫もそりゃあかわいいですよ(笑))
比羅夫の人気者、猫のしま太郎。なんかアンニュイな表情してますが…
「しま太郎」の命名は、尻尾がしましまだから。
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