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北陸鉄道 能美廃線跡 その1 (鶴来〜本鶴来)

北陸鉄道能美線は国鉄北陸本線寺井駅隣接の新寺井駅を起点とし、北鉄石川線鶴来駅までを、その名の通り能美郡3町(根上町、寺井町、辰口町:いずれも現能美市)を辿り、結んでいた16.7キロの路線で、石川線、金名線と併せ「石川総線」と呼ばれていた路線群の一翼でした。
能美線は大正14年に能美電気鉄道により新寺井から鶴来町の手取川対岸までが開業、後の昭和7年に手取川を渡河して鶴来駅に接続しました。物資輸送や石川線との直通運転などもあわせ活躍しましたが、昭和40年代からモータリゼーションの進行により昭和43年貨物列車廃止、昭和45年昼間列車をバス転換と縮小を重ね、昭和55年9月に全線廃止となりました。
路線跡は現在は大部分が自転車・歩行者専用道を含む公道となっているため遺構はあまりありませんが、駅跡が公園となっているなど痕跡は多く、また一部橋梁や隧道が廃線のまま遺構として残っています。この項は平成20年の8月と9月にこの路線跡を自転車で辿った記録です。


能美線終点駅だった鶴来駅
石川線、能美線、金名線を併せた通称「石川総線」の扇の要であった主要駅で、現在も北鉄線きっての主要駅であることは変わりませんが、石川総線で唯一現存する石川線の、平成21年11月以降は終点となっており、短距離盲腸線の行止り駅となってしまいました。
鶴来駅は戸籍上能美線の終点でしたが、石川線の接続の関係から鶴来から新寺井へ向かう列車が下り列車となっていました。
今回はこちら側、鶴来駅から戸籍上の起点新寺井を目指したいと思います。
鶴来駅の裏手を鶴来駅方向を向いて。この左急カーブの先に鶴来駅があります。
駅の裏には車庫があり、「裏口」はありません。ただ新しく整備された道路ができており、能美線の路盤を一部取り込んでしまっているようです。一応電車(回送)のいる石川線の手前の空き地が能美線の路盤跡です。
なおこの場所は鶴来駅の下り方で、鶴来駅に対し新寺井駅はこのほぼ逆方向なのですが、能美線は一旦石川線と併走しながら石川線下り方向へ向かい、鶴来の市街部を過ぎると手取川橋梁を挟んでUターンするように大きく旋回していました。
鶴来駅下り方と言えば、平成21年11月に石川線も廃線となっているので、現在はここまで車両が入ることはないかもしれません。
石川線が下り方向に鶴来駅を出るとそれぞれほぼ直角に、右に左にとクランクするようにカーブする、その中間の短い直線区間。不思議な線形でしたが、鶴来駅以南は金名鉄道敷設なので、鶴来駅接続のため、後から町割りの間を縫ったのか、座標修正のような進路を取ったのか。その区間に追って能美線も合流したのですから、鶴来駅下り方の線形は少々強引です。
平成21年11月現在、ここの石川線も廃線となったので、いずれトレースしてみたいと思います。

画像は鶴来駅方向を向いて撮影。この線路は石川線。能美線路盤跡はその左の空間です。ちょっと気付きづらいスペースかもしれません。
踏切から振り返るともう住宅地。路線の痕跡は完全に消え、公道脇の駐車場に取り込まれています。
一応公道との境がありますが、敷地境界であるかは確認できませんでした。
境界であったとすれば(おそらくそうだと思いますが)、北鉄所有地なのではないでしょうか。
尚、この駐車場は町内のゴミステーションらしく、背後の立て看板は分別などを指示するもの。土地所有者が明らかになるものではありませんでした。
駐車場を過ぎると小さな畑地となります。家庭菜園程度の小さな線路脇のスペースですが、この辺りが本鶴来駅跡です。(鶴来方向を向いて撮影)
石川線に並行していますが、本鶴来駅は石川線のホームはなく、昭和55年の能美線廃止と共に廃止されました。
鶴来、中鶴来、本鶴来の各駅が存在したわけですが、一体どこが中心なのかというと、やはり鶴来駅なのでしょう。
全く同じ「系列駅」を持つ県内の津幡、中津幡、本津幡は、町外れの本線駅、民鉄出自の旧中心駅、その間に新設された駅と、苦しいネーミングの様が伺えますが、「鶴来駅系列」の場合は鶴来(T4)、中鶴来(S2)、本鶴来(S7)の順に、石川電気鉄道、金名鉄道、能美電気鉄道により開業と出自が異なり、各社タメを張ったか、譲り合ったか、粛々と名付けたか、事情は不明ながら複雑です。
ちなみに一時期能美線には新鶴来駅(後述)も存在しました。
石川線はここで能美線と方向を分かち、南方へほぼ90度の急カーブで転進します。木の向こうに見えるビルは公立鶴来病院。石川線の次駅中鶴来駅はあの病院の、この方向からは、丁度裏手にあります(というか、ありました)。
カーブしていく石川線の線路を左手に、能美線は直進します。画像は2枚上の本鶴来駅跡から振り向いたもの。
石川線はこの左に進路を取り、また能美線の向かうべき新寺井駅はこの右奥の方向。ただしここでは能美線はまだ画像正面奥方向へ直進します。
直進すると現れるのが七ヶ用水。ここには渡水する下路ガーダーが残っています。
石川線はというと、やはり併走しながら渡水します(右下の画像)。石川線は上路ガーダー橋。ここまで近接していながら複線橋梁1本にまとめられなかったのは、石川線の急旋回以上に、敷設時に別会社だったからでしょうし、また橋梁構造が異なるのもそのためでしょうか。この区間石川線(当時金名鉄道)は昭和2年に、能美線はその5年後の昭和7年に開業しています。
尚この2本の鉄橋脇に保線用か、簡素な歩道橋も架かっており、下の画像はその橋からのもの。画像の奥に影が見えるとおり、当時現役だった石川線橋梁は能美線廃橋の向こう側で、石川線橋梁から撮影したものではありませんので、一応お断りを。
七ヶ用水を渡ると50メートルほどで国道157号線にぶつかります。
一方この左手を行く石川線は、この国道を接線とするように急旋回の弧を描き、能美線跡の視座からは消えていきます。
さて能美線のぶつかるこの辺りの国道157号線鶴来バイパスは昭和58年の開通。能美線現役時には存在しなかったことになるため、「跨道」の問題については生じていませんでした。
しかしこの現在の鶴来バイパスを越えた先には、石川県一の大河手取川が横たわっています。
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