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北陸鉄道 能美線廃線跡 その7  (末信牛島〜寺井西口)

末信牛島駅跡を過ぎると住宅密集度も上がり、路線跡は民家の間を縫うように走ります。住宅も古い民家も入れ混ざるようになり、地区の中心が近づいていることが伺えます。
やがて路線跡は大通りにぶつかり分断されます。この通りは北陸最大の主要道国道8号線の旧道で、さすがに交通量が多く、路線跡をそのまま横断はできません。
ちなみに示される交差点の向こう側に旧寺井町役場、つまり現能美市役所があり、沿線で最も賑やかな地点ですが、当時は国道を踏切で横断していたのでしょうか。
ちなみにこの西に国道8号線の金沢西バイパスが開通したのが昭和57年。能美線廃止が昭和55年なので、現役バリバリの一級国道を越えていたことになります。
ちなみにこの辺りは「久谷の里ヘルシーロード」には間違いないようなのですが、「コミュニティロード」という「区間名」があるようです。(実際は単に設置時の齟齬だと思いますが。)
旧国道を越えると再び路線跡は途切れます。これは正面に見える市立図書館の整備によって路盤跡が消失したため。右奥に見える図書館の駐輪場前から図書館前を通り、路線跡「モドキ」を辿ることはできます。
能美市立図書館は、平成10年に当時の寺井町によって開設されましたが、そこが能美線の本寺井駅跡。周囲にJA施設などもあります。
新生能美市役所は寺井町役場に置かれたので、この駅が現役であれば、ここが市代表駅となっていたかもしれませんが、廃線時は無人駅で、また「のみでん広場」の写真からは駅舎というもの自体確認できませんでした。実は大きな駅ではなかったようです。
ちなみに、では国鉄接続の新寺井駅も近いかと言われると、新寺井駅は隣の旧根上(ねあがり)町の中心にあり、ここからまだ4キロ弱の距離があります。
本寺井駅跡(図書館前)を過ぎると、路線跡は大きなS字カーブを描くように一旦北を向き、また西へ向きなおします。その北へ転進するカーブに接して総合病院があります。
位置的に本寺井駅とも次の寺井西口駅とも大した距離はないですが、路線が現役であればこの辺りに駅が新設されていたかもしれません。
(尚本寺井〜寺井西口間には一時期「自動車連絡駅」という、よく分からない名の駅もあったようです。)
寺井病院前を過ぎると今度は市立中学校の脇を通ります。全く痕跡はありませんが、寺井西口駅はこの近辺からもう少し先の間にかけてのどこかにあったようですが、痕跡はありません。
なおこの手前で小川を渡る橋梁がありますが、ボックスカルバートを使用した新しいコンクリート橋で、鉄道遺構ではありませんでした。
一旦北を向いた路線跡は中学校脇を過ぎるあたりから国道バイパス辺りまでに大きく旋回して西へ向きますが、そのカーブが始まったところで突然「ヘルシーロード」は途切れます。路線跡も途切れるかというと、しっかりと緩やかなカーブを続けながら土手が延びています。
この土手は農道にも使用されておらず、藪の中だったので、迂回して反対側に向かったところ…
七ヶ用水橋梁、天狗山隧道に続く、久しぶりの遺構、小川に架かったままのガーダーがありました。(画像は鶴来方向を向いています)

ちなみにこの橋梁は能美市(旧寺井町)寺井と同(旧根上町)五間堂を結んでいますが、この橋梁箇所のみは高堂(たかんどう)という地区で、小松市となります。自治体が複雑に交錯するこの地点だからこそ、ポツンと残った遺構なのかもしれません。
またマピオンで見るとこの橋梁やその上り方の土手を含み、この先国道バイパスにぶつかるまでの区間も「ヘルシーロード」を延長した道路の一部として描かれています。(マピオン参照
橋梁の残る小川を越えると旧根上町域に入ります。サイクリングロードは旧辰口町と旧寺井町が整備したようで、ここで久々に路線跡は舗装路ではなくなります。
しかし緩やかにカーブしながら先へと延びてゆく様は路線跡そのもの。ここ数百メートルはこのような農道となります。
さて農道となった路線跡はそのまま国道8号線金沢西バイパスにぶつかり消失します。この幹線国道を横断するルートはここにはありません。

日が落ちてきたこと、それ以上に実は午前中に金名線往復を辿って挙句に大雨にあっていることからぼちぼち疲労もピークに。
というわけで、本日はこの国道8号線東側の地点で撤収。
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