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北陸鉄道 能美線廃線跡 その5  (火釜〜上開発)

火釜駅跡から1本、久々の「並行道スライド」がありますが、その結果再び路線跡のような線形が復活。道路も、どこに消えていたのか「町民スポーツヘルスロード」です。
そしてこの辺りから奥の建物辺りまでの間に来丸駅があったようですが、何の痕跡もなく、場所の特定は困難です。
来丸駅は旧辰口町役場(現能美市支所)最寄駅ですが、代表駅ではなく、一集落の片隅という立地です。
あの奥の建物の辺りは小さな駅前的な雰囲気がありますが、来丸気多神社があり、その「門前スペース」のようです。来丸気多神社には旧辰口町一の大杉があります。
なお旧辰口町役場や中心地区は、近いのですがこの神社のある丘の裏側にあたります。
「のみでん広場」の写真から、来丸駅は駅舎のない棒線駅だったことがわかります。これでは痕跡消失もやむなしでしょうか。
周辺集落はそう新しくも見えなかったので、この背景からすると、もう少し外れにあったのかもしれません。それにしてもホームが短いです。
来丸の集落を過ぎると「町民スポーツヘルスロード」はまた通常の公道に飲み込まれます。そしてアパートやレンタルビデオ屋などが現れ、町の中心らしい雰囲気が出てきます。
旧辰口町の中心は路線跡より若干南で、中心集落の縁を掠めるように進むとJA施設のある広場に出ます。ここが路線末期唯一の中間有人駅で、現在は鉄路のない旧辰口町の代表駅だった、辰口温泉駅跡。立地としては旧辰口町の中心からはやや外れており、また最終駅名となった辰口温泉からも2キロ弱離れていますが、構内跡の広さとJA施設の立派さが往時の貫禄を伝えます。
現在はその広場の片隅に「辰口(農協前)」というバス停がひっそりとあります。
ちなみに辰口温泉駅はこんな木造駅舎のある駅でした。
で、これまで随分と出てきた現役当時の写真、これは先ほどから名前を出している「のみでん広場」からのもの。
その「のみでん広場」はこの駅跡脇にあり(隣接する能美市立博物館の施設のようです)、北陸鉄道旧車(3760形電車)が展示してあります。
各駅の現役当時の写真はこの車両内に展示してあったものです。簡単な説明書きも添えてあり、貴重な資料になりました。(訪問時は車両は開放されていましたが、施設そのものは整備途上のようでした。)
「町民スポーツヘルスロード」なのかどうなのか、路線跡らしい道路は続きますが、久々にこのモニュメントが現れました(このモニュメント自体は例えば「火釜」など、県道沿いなどに多くあります)。背後にあるのは公民館です。
ここの地区名は「上開発」。墾田を示すようなこの地名は、隣県富山県の富山地鉄、福井県のえちぜん鉄道の駅名にもありますが、共に「かいほつ」と読みます。この地「上開発」は「かみかいはつ」で、読みは異なっています。
そして公民館から一本の通りを挟んで、駐車帯を含め道路が拡幅する、ここが上開発駅跡。
現役時代は物流も行われた複線構内だったようですが、「のみでん広場」の写真からはその気配は伺えません。周囲に駅跡を特定できる施設があればよかったのですが。
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