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北陸鉄道 金名線廃線跡 その1 (加賀一の宮〜手取中島)

北陸鉄道金名線は白山市旧鶴来町地区の加賀一の宮駅から同市旧鳥越村地区の白山下駅までの16.8キロの路線で、大正15年金名鉄道により開業、のち北陸鉄道金名線として、白山麓6町村(鶴来町、河内村、鳥越村、吉野谷村、尾口村、白峰村)のうち、唯一国道157号線の通らなかった手取川西岸の鳥越村地区の貴重な足として運行されました。ただし沿線の過疎化とモータリゼーションの進行により営業状況は逼迫し、昭和59年、手取川橋梁を支持する岩盤に、風化による亀裂が確認されたのを機に全線休止、昭和62年にそのまま廃止となりました。
現在は全線に渡ってサイクリングロードとして整備されているため、鉄道遺構はほぼありませんが、現在でも現役であれば望める車窓を体感することができます。これは平成20年8月にそのサイクリングロードを自転車で走ってきた際の記録で、上記のとおりの事情から、仮想の車窓風景の記録としてご覧いただければ幸いです。 (なお石川線鶴来〜加賀一の宮間は平成21年11月に廃止となる(「旅の記憶、旅の記録(加賀一の宮駅編)」参照)など状況は変わっていますが、訪問当時を現在として紹介していますのでご了承ください。)


石川線終点の加賀一の宮駅。同時にかつての金名線の起点駅であり、さらに出自を問えば金名線の前身金名鉄道の手により開業した駅です。
金名線跡のトレースはここからスタートです。



加賀一の宮駅構内の、石川線終端。小さな橋を渡り、正面の電柱が終端の位置。その向こうに金名線路盤跡があるのですが藪に没しており、特に夏季はその痕跡をうかがい知ることはできません。
なお加賀一の宮転回の列車も、この地点まで電車が走ることは現在ありません。
加賀一の宮駅構内からの路盤跡を、反対側の公道から見た図。
画面中央を、緩やかに左カーブしながら登っていく低い築堤があるのですが、夏草に覆われています。丁度路盤跡を示すように草の帯が見えると思います。
正面奥の大きな木々の裏手に加賀一の宮駅があります。
上の画像の位置で振り返ると、金名線跡を利用したサイクリングロード、「手取キャニオンロード」(正式名「石川県道302号線手取川自転車道線)となります。
以降路盤跡は釜清水駅付近など僅かな例外を除いて舗装路となり、路線の遺構は皆無と言えます。
「手取キャニオンロード」はこの辺りはまだ車道兼用です。
国道157号線下をくぐるあたりから「手取キャニオンロード」は自転車専用となります。ただし国道橋下あたりは未舗装の、畦道のような状態です。
この先しばらく国道に並行します。左手にあるのが国道。
一部新しい民家が建つ区画があり、その付近だけは路盤跡にはあるまじき鋭角カーブがあり、路盤跡は宅地造成に消えているようです。
また途中に小さな橋もありますが「手取キャニオンロード」用に新設された橋で、鉄道の痕跡はありませんでした。
しばらく国道と併走したのち、路盤跡は緩やかに右カーブしながら下り勾配を行きます。
このカーブを曲がりきり、勾配を下りきると古い集落が見えています。
この集落の中に、加賀一の宮駅から一つ目の駅、手取中島駅がありました。
この付近が手取中島駅跡。特に痕跡はありませんが、集落の集まり方と、駅前商店であったと思しき個人商店があり、なんとはない「駅前のニオイ」がします。

そして駅跡を過ぎると金名線廃線の元凶となった手取川橋梁があります。
手取川橋梁(中島橋梁)は一旦撤去されましたが、現在「金名橋」と名づけられて復活、橋本体も橋台なども新調されています。
尚この橋のトラスは、金沢市民には馴染みの深い、犀川(JR金沢駅上り方の川)の車道橋「御影大橋」旧橋のトラスの一部を流用したもの。どうりで初見から既視感がありました。
この付近の手取川はまだ「手取峡谷」とは呼ばれませんが、見事な渓谷美を見せます。
金名線も末期は、こうした立地の観光線への模索も図られていました。
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