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「能登」と読書と群馬三昧の巻 その2

○湖底に消える町

さて高崎に到着したが、夏季とは言え夏至から2か月ほど過ぎたこの時節、早朝4時過ぎはさすがにまだ暗い。
この先はまず吾妻線へ入る予定であるが、始発列車までまだしばらく時間がある。高崎駅は工事中で経路が複雑になっており、待合室が見当たらない。今年は「暑い夏」ではあるが、まだ暑くもないし、とは言ってももちろん寒くもないので、通路の階段隅に腰掛けて今後のいい加減な予定を組み、そして本の続きを読む。

今回のターゲットはその吾妻線、そして上越線南部と信越線南部、あとは時間が余りそうなので上信電鉄に少し入るなど、適当にうろつく予定。
夜が白み、あたりが見え始めた頃、高崎駅を出発。そして「昼行列車」に乗ったところで眠りにつく。車内では本を読んでいることも多く、本来旅行は目的地よりもその過程を楽しむタイプなのであるが、こう思うと妙な癖もあったものだ。

まだらな記憶のみを残し、列車は万座・鹿沢口に到着。駅前の川原が涼しげな高原の駅とは言っても、やはり外は暑くなってきていた。天気はよいが、たまに高雲もかかる。やや蒸している。
吾妻線上をしばし移動したのち、川原湯温泉へ。

自分の駅巡りは正直なところ全国の全駅制覇を掲げているつもりはなく、実は大学時代を中心に目的なく全国をうろついていた頃の記憶を辿るような旅である。その地の一ランドマークである駅を押さえる、というのが元々のスタンスであり、そのため比較的思い入れのある地や気に入った場所を優先的に「取材」しているという側面がある。

そして北陸地方で生まれ育った自分にとって、実は東海道・山陽筋などの太平洋側の都市圏は実はあまり思い入れがない。いや、ないことはない地は本当はあるのだが、親近感ということになると、相当に希薄である。むしろ東北や山陰、北海道などの方が、物理的距離ははるかに遠いものの、どこか「しっくりくる」のだ。

吾妻線沿線は「都市圏」というにはあまりにかけ離れているが、「関東圏」であり「首都圏」であるには変わりはない。
訪問暦自体は少ないわけではないのだが、この狭隘な地形に対して、吾妻線に並行する国道に過剰に車が集中する毎度の風景に、やはり東京圏の巨大後背地が感じられる。むしろ甲信地区へ向かう信越、中央線筋の方が思い入れは深い。
しかし今吾妻線を目指した理由はこの川原湯温泉付近にある。

周知のとおり、この川原湯温泉一帯は近い将来「八ツ場(やんば)ダム」が完成すると駅・路線も温泉地諸共にダム湖に水没することになっている。思い入れは希薄とは言え、一度でも訪れた地が「取材」前に消滅してしまうのはさすがに忍びない、ということで旅程に組み込んだのであった。

さてその川原湯温泉駅の周辺であるが、印象としては意外に「あっけらかんとしていた」。湖底に消えてしまう、ダム建設反対、これまでのご愛顧に感謝…、などなど、あると思っていた文字はあまり見当たらない。自分はかねてから出先では、出来うる限りその地の「日常」を見たいと願っており、あまり祭りやイベント事等の「非日常」には興味を惹かれない。
このケースを「イベント事」呼ばわりするつもりはないが、しかしあまりに日常すぎ、むしろそれが感傷を誘う。なんだかんだ言っても結局は湖底に消える町へ、日常以上の入れ込みを持っていたのは自分にほかならなかったようである。
廃線どころか「水没」を待つ川原湯温泉駅。
「消えゆく町」を感じさせたのはこのポスターくらい。
川原湯温泉では、まともに18切符を活用すべく次の普通列車を待つとかなりの待ち時間ができてしまうので、特急で隣の長野原草津口へ向かうことにしている。

「500円余計にかかっちゃうけど、いいの?」出札委託の駅員が申し訳なさそうに尋ねる。
「いいんすよ、最初からそのつもりだから。」

いやそちらこそ大変ですね、訳のわからない返し文句が出そうだった。やはりどうにも入れ込んでいる。
目の前の地元の委託駅員に悲壮感はない。相当な住民運動が展開されたそうだが、駅舎内にあったポスターを見る限りポジティブな面しか見られず、反対とか工事凍結とかよりも、のちの生活の保障が争点になっているのだろうか。
故郷が永久に湖底に没するという、その感覚は自分には理解できるものではないのかもしれない。余所者ながら、移転後のより良い生活を願うばかりである。

さて一旦長野原草津口へ移動した後、今回の旅程の一つのメインターゲットを確保に向かう。川原湯温泉郷とともに湖底に沈む吾妻線の名物「日本一短い鉄道トンネル」、全長7.2mの樽沢トンネルである。
樽沢トンネルは吾妻川の形成する吾妻渓谷の岸壁にある。渓谷には国道と線路が寄り添うに走り、付近に「平地」と言えるものは全くない。その断崖上を吾妻線は走るのだが、その途上に短いトンネルは多い。樽沢トンネルを含め、これら短いトンネルは切り通しにしてしまえばよかったものを、と思われそうだが、地盤が弱く、できなかったらしい。

で、樽沢トンネルであるが、これか、これか、と思いながら通過するトンネルはどれも違うらしい。というより確証が持てない。「う〜ん知らない間に通過してることもありうるかな」、と思った矢先、カーブの先に一際短いトンネルが現れた。「あれだ!」と思うや、列車はあっと言う間に潜り抜けてしまった。
車両1両にも満たない長さのトンネルなのだから、こんなものなのだろう。かくしてあっけなく1日目のメインイベントは終了した。
特急チョイ乗りで川原湯温泉を後にする。
吾妻線名物、樽沢トンネル。
○旅のお供その1

この日はこののち上越線の水上以南を拾いつつ移動する。上越線は渋川以北で列車本数が減るものの、予定では極端に長い待ち時間が出来る駅はない。周囲をうろつくにはちょっと時間が少ないので、待ち時間でも、また移動中の車内でも、のんびりと本を読んでいた。

待ち時間中などは、ずっと駅舎内にいるのも自ら奇異に思うので、駅前のベンチなどで、炎天下の屋外で読書である。これもこれでやはり奇異ではあるが、わりとこういうことはよくやる。

能登編や秋田編でも少し触れたが、自分にとっては時間を潰す手段として、一番よいのは本を読むこと。寝る前なども、音楽を聞くよりも本を読むことの方が多い。とは言っても、実は決して読書家ではない。音楽を聞くことと異なり、本を読むと並行して何も出来なくなる。

だから特に最近は時間を潰す時くらいしか「読書」と言えるような本はあまり読まない。ついでに同じ理由でテレビもほとんど見ない。ということで家にいるときに本を読むことは、必要に迫られない限り正直言ってあまりなく、むしろ外で読むことの方が多い。学生時代などは逆にわざわざ読書のために外へ出ていたこともよくあった。

で、こういう時に読む本はというと、正直なんでもよい。文庫でも新書でも雑誌でも漫画でもなんでもござれで、学生時代はゼミの、今は仕事の資料である場合もあり、とにかく目で追えるものがあればそれでいい。ただ列車旅のように多少のフリーな時間が想定されている場合は漫画は早く片付きすぎて、あとは嵩張るだけなのであまり適さない。

というわけで今回持参したのは文庫本で、村上春樹の「海辺のカフカ」。しばらく前に買ってはいたが、18切符シーズン到来に備え、「温存」していたものだ。上下巻あるのでボリュームもそれなりにある。

実は自分は読書家ではないどころか、元々むしろ「本嫌い」で、小説のようなものはあまり読んでいなかった。しかし大学の頃、文学部の友人に「この人の書く主人公、アンタになんとなく似てるから読んでみてよ。」と紹介されたのが、この村上春樹という作家。

差し出されたのは「羊をめぐる冒険」。村上春樹の名は自分が中学時代に出た「ノルウェイの森」から聞き及んでいたが、それまで読んだことはなかった。で、その借りた文庫本を読んでみると、結構おもしろい。文章自体はわりかし平易だからか、すんなりとハマってしまった。そしてこれを機に「本」と言えるものを読むようになったわけだ。

村上春樹はというと、「ノルウェイの森」のイメージが強かったので、一種の流行ものだろうという先入観があったのだが、続けて読んでいくとむしろ「ノルウェイの森」が異端なのかなと思うようになった。そしてその主人公であるが、確かにある種似た印象を受けるキャラクターが物語毎に登場する。

ただし自分に似ているかどうかはよく分からない。だがこの人の描く主人公に大よそ備わっている自活能力は、少なくとも自分にはない。

村上春樹の小説のよいところは、非常に淡々としているところ、これが旅行中に読むのに非常に適しているのだ。もちろん作中にはクライマックスもあれば、驚くような展開、激しい怒りをあらわにする場面なども出てくる。それでも全体としては淡々と、実に淡々と、物語は進む。そして淡々としているがゆえに、必要があればわりかしスパッと中断できる。それでいて再び作中に入り込むのもあまり抵抗がない。

だから村上春樹の本はわりと旅のお供となっており、作品を思い出そうとすると、その時いた場所のニオイも同時に蘇る。好きな作品である「ねじまき鳥クロニクル」などは、作品のイメージはさておき、紀勢線沿線ののどかな漁村が浮かんでくる。最も好きな「羊をめぐる冒険」は読み直しがてら持参した、南九州だ。

またこの人の作品が旅行中に向いているのはもう一点、作中自体物理的な移動がある場合が多く、生活圏から離れた「非日常」を現実面でも、脳内でも体験できる点だ。ただ今回持参した「海辺のカフカ」は舞台が東京から四国へ移る。自分が直に体験している「関東の山縁」とはちょっとイメージが違ったが、まぁ別に気にしても仕方がない。とりあえずこの「海辺のカフカ」に群馬県をインプットしていく。
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