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「能登」と読書と群馬三昧の巻 その3

○生きた化石発見

群馬県内の上越線は渋川以南は沿線に断続的に民家が並び、南関東へのベッドタウン的な表情が垣間見えるものの、反面駅周辺は下町的な古い街並みが見られる駅も多い。そしてまた古い木造駅舎も比較的多く残っている。

群馬県内の主要駅高崎駅と新前橋駅の間にある井野駅もそういった駅の一つだ。やや込み入った狭い駅前に面して、複雑な形状の小さな木造駅舎を持つ。構内は長い2面の対向式ホームであるが、上屋のかかる箇所は短く、また中線が痕跡だけを残して撤去されているため、どこか間延びしたような空虚感すらある構内である。

と、ふと見ると上りホームの端にもう一つの駅舎があった。東口である。こちらは高校に近いようで、学生の出入がやたらと見られる。東口から外へ出ると自転車置場が並び、人の通路は広くない。脇には町の自転車屋さんの「出張所」のような店が構えられており、高校生がパンクを直してもらっていた。学生に特化したような出入口である。
東口駅舎は軽量鉄骨造のようで、こちらにも駅員は配置されているものの、待合室もなく、極めて簡素な施設である。ただ短距離券売機は設置されており、それは軒下ながら外壁にむき出しで置かれていた。

「こんな裏口にも券売機があるんだなぁ」と何気に思った瞬間、「あっ」と思った。
二つ並んだその券売機は、表記こそ「JR線」となってはいるが、紛れもなく国鉄時代のものであった。実に久方ぶりに見るもの、というよりコレがまだ残っているとは思いもしなかった。これまで駅を巡ってきて、初めてみるものだ。まさに生きた化石。思わずカメラを向けていると、掃除に出てきた駅員さんがニッコリ笑いながら声をかけてきた。


「古い券売機でしょう。」
「これ、国鉄時代のものですよね?」

もしかしたらこの駅のB級名物なのかもしれない。駅員さんの笑みも誇らしげだ。




「…さぁ?」

なんじゃそら!


おかげさまでその出自は分からなかった。本当に国鉄時代の生き残りかもしれないし、もしかしたらJR初期のものだったのかもしれない。が、とりあえずプチタイムトリップが経験できた気がする。
あまり細かなものに注意を払ってこなかったが、「国鉄金沢駅」の券売機が鮮明に思い起こされていた。各地でたまに見かける古い駅名標などよりも、直接手に触れ、操作していたものの方が、意外と有難味(?)があるものなのかも知れない。


この日はこの後、明るくなった高崎駅と、高崎周辺をわずかに押さえて、高崎泊である。
井野駅東口。駅舎に埋め込まれているのは…。
ノスタルジックな「国鉄型券売機」。それにしても懐かしい。
高崎駅にて、入線する普通列車。両毛線開業115周年記念ヘッドマーク付き。
ホーム端にやたらと人がいるとな、と思っていたら、SL「奥利根」号がやってきた。
○横川の予備知識

さて2日目。2日目は信越線の横川以東を押さえた後、高崎周辺を少し回って帰路に着く予定。
関東圏にはあまり「親近感」が湧かない(、というよりもしかしたら勝手に「疎外感」を感じているだけかもしれないが)とは言え、群馬県には個人的に気に入っているところがある。それは峨々とした岩山が多いところ。

軟弱な関東ロームの表層を、利根川とその支流やからっ風が洗うのか、関東ロームがそもそも傾斜に耐えられなかったのか、群馬県のイメージは平野よりもむしろこちらである。吾妻線の西部や上越線の岩本付近、上信電鉄の下仁田あたりと、そういう景色を目にすることは多い。

そしてその最たるものが、信越線の安中付近から間近に臨む上毛三山の一つ、妙義山である。どこか水墨画の世界のような美しさがある、というそれ以上に、この妙義山ほどにもなると単にその迫力が好きなのだ。
その迫力の妙義山が次第に迫り、最早「目の前」というくらいまで接近すると、信越線の関東口終端、横川である。


横川。説明不要であろうが、ここが終端となっているのは平成9年の長野新幹線開業と引き換えに、隣駅、長野県の軽井沢との間が廃線となったためである。
軽井沢から先、篠ノ井までのしなの鉄道線も同時にJRから離れたかつての信越本線であり、高崎から横川、軽井沢、長野、直江津と経由して新潟へ達していたのが元来の信越本線である。信濃にも越後にも到達しない現在の高崎〜横川間が「信越本線」であることは、遠い将来奇異に映る世代も出てくることだろう。

で、横川と軽井沢の間がしなの鉄道に移管されなかったのは、区間を通して「しなの」ではなかった、ということではなく、当時のJR線最急勾配地点を含む碓氷峠が介在したためで、この区間は通過するあらゆる列車に専用補機が連結され、運行されていた。
つまり県境、しかも関東から中部へ入る広域圏境ということで流動も少なく、かつ運行コストが嵩む、高コスト低リターンの区間であったためだ。この特殊な区間が廃止となる直前には、一大フィーバーを引き起こしことも、まだ記憶に新しい。

現在その廃止された横川周辺の廃線跡は整備され、遊歩道となっている。国鉄/JR線最急勾配の66.7‰(1/15勾配)を直に体験できるようになっているのだ。またかつてはここの専用補機、EF63が待機していた広大な留置線跡にも「鉄道文化むら」が開設されて、鉄道の町横川は今もその空気を色濃く残している。


横川駅の構内に降り立つのは随分久しぶり、というより、終端駅となってからは初めてである。軽井沢方には本線、機回し線ともに輪止めが設置され、使用されなくなった4番線には、かつてのこの駅の主役、「在来線の」特急あさまがパートナーのEF63とともに保存されている。保存とは言っても状態は悪く、外板には雨垂れ跡がいくつもの茶色い筋を残し、塗装は日に焼けてうすら白くなっている。補機EF63解結作業の傍ら、「峠の釜めし」の立ち売りに人が殺到していた当時の横川駅の活気は、最早見る影もない。

折り返し列車を見送り、せっかくなのでこれから遊歩道が整備されている廃線跡を少し歩いてみることにしている。横川駅を出ると、駅に併設していた横川機関区の広大なヤードは広い駐車場になっており、駅前も随分印象が変わっている。軽井沢方向へ進むと、廃止区間の代替バス乗り場があり、その向うに「鉄道文化むら」が見える。夏休みということで、子供連れで大いに賑わっている。

と、その時峠側、つまり横川駅の反対方向から機関車の大きなブロア音が聞こえた。「おや?」と視線を投じると、EF63が峠を下ってきた。
実は知らなかった。この機関車、退役後は一般に開放され、講習を受ければ運転できるようになっているのだ。引退したサラブレッドが乗馬クラブに再就職したようなものだろうか。特定区間専用機だからその路線と共に「友引引退」したものだとばかり思っていたが、動くEF63を目の当たりにして、なんとなく嬉しくなった。とは言え、知らなかったというのもヒドイものだが、そう思えば当人の驚きようは推して知るべし。「え?え?え?」とアホ面晒して眺めていたというのが実際のところである。

EF63が文化むらの構内に収まるのを見届け、先へ進む。かつて複線だったこの区間は当時の上り線1線分がレールを埋め込んだまま遊歩道となっており、かつて「活きた」線路が通っていたことを明確に主張している。

それはいいとして、もう1線下り線は現役さながらに保存されており、峠へ向かって延びている。あのEF63、どこまで行けるのだろう、と思っていたら、今度は背後からトロッコ列車がやってきた。これまた驚きである。同じく鉄道雑誌は全く読んでいないという所長も、これくらいの現実は知っているだろう。こんなHPを開設していながら、新鮮な驚き共々、汗顔の至りである。
鉄道文化むらの開設、バス乗換えなどでむしろ駅前は賑やかになった気がする横川駅。
廃止となった横川〜軽井沢間の鉄道代替バス。夏休み中のためか、乗り換える人は思ったより多くいた。
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