|
さて以上のような熱狂の新幹線開業日の金沢駅の様子でしたが、一方で個人的には、かねてよりこのサイトでもにじみ出ていたように思いますが、実は冷めていた面は否めません。回顧的な意味合いも否定はしませんが、実際面でも夜行列車の廃止、在来線の3セク化など、自分の行動パターンにとってマイナスになることがかなり多かったためです。
しかしまた一方で、夜行列車については先行してなくなってしまい、また新幹線では時間的距離からすると東京まで2時間半となり、大阪と完全に同等になるという利便性はやはり魅力もあり、最終的には感情としては半々でした。
当初、開業当日は人混みも鬱陶しいし、いつでも行けるから避けようかと考えていたのはそんなところからです。(実は北広島支所長が「取材」にやってきたのですが、そのきっかけがなければ本当に行っていなかったように思います。)
いずれにせよこの日は、地元金沢駅の、開業以来おそらく五指に入る、歴史的転換点であったのでしょう。結局は「北陸支所」として、そんな日をやはり見逃す手はなかったのだと、一応そう考えております。
金沢駅の主な沿革は以下のようなものです。 |
|
◇金沢駅の沿革
明治31年4月 |
官設鉄道北陸線小松〜金沢延伸により終着駅として開業 |
明治31年11月 |
同上金沢〜高岡延伸により中間駅となる |
明治43年2月 |
駅構内に金沢工場開設 |
大正15年5月 |
浅野川電気鉄道七ツ屋〜金沢駅前(現北鉄金沢)延伸 |
昭和10年10月 |
金沢工場が松任へ移転し、駅構内の跡地は貨物ヤードとなる |
昭和13年10月 |
北陸本線金沢〜津幡複線化 |
昭和29年7月 |
駅舎改築、総4階建て鉄筋コンクリート駅舎化、金沢鉄道管理局入居 |
昭和35年9月 |
北陸本線西金沢〜金沢複線化 |
昭和36年10月 |
北陸本線初の特急、「白鳥」運転開始 |
昭和38年4月 |
北陸本線福井〜金沢電化 |
昭和39年8月 |
北陸本線金沢〜富山(操)電化 |
昭和39年12月 |
北陸本線初の電車特急、「雷鳥」「しらさぎ」運転開始 |
昭和59年12月 |
金沢〜森本貨物(高架)線開通 |
昭和60年3月 |
貨物部門が金沢市高柳(東金沢駅付近)へ移転 |
昭和60年7月 |
駅西口開設 |
昭和62年4月 |
国鉄分割民営化、JR西日本所属となる |
平成2年6月 |
駅舎改築、駅及び駅周辺の北陸本線が高架化 |
平成13年3月 |
北鉄金沢駅、駅及び駅周辺の浅野川線が地下化 |
平成17年3月 |
東口に「もてなしドーム」「鼓門」竣工 |
平成27年3月 |
北陸新幹線金沢開業、北陸本線金沢〜石川・富山県境がIRいしかわ鉄道へ移管 |
|
|
|
|
地平時代・国鉄時代の金沢駅の代表的な花形列車は、北陸で誕生したこの国鉄特急型車両の代表格、485系を使用した特急群でした。 |
|
|
そして夜行列車の多かった東北や九州よりは数は少なかったですが、485系の国鉄特急型の双璧、583系も補完的にやってきていました。 |
|
|
|
花形列車と言えば、北陸地区では早朝・夜間のみでしたが、寝台特急も忘れてはいけません。 |
|
|
旧型客車を使用した普通列車も、全国レベルでは比較的遅くまで残っていました。固いシートに独特な静寂性が記憶に鮮明です。 |
|
|
|
|
国鉄の分割民営化目前、そして旧機関区跡を利用した高架化工事が始まった頃の写真。これらも金沢駅の大きなトピックでした。 |
|
|
時代は平成となり、JR西日本移管、駅も高架化。花形列車も変わりました。JRと北越急行の681系です。 |
|
|
|
|
しかし高架化されても変わらず活躍を続けた国鉄の残像も、北陸、金沢駅ではごく最近まで残っていました。 |
|
|
寝台列車のニーズも変わり実用性からレジャー性が強くなりました。これももう一つの花形列車でしたが、やはり歴史の一部へと…。 |
|
|
|
そしてこれらの多くが次世代の主役へバトンタッチした、
金沢駅にとって平成27年3月14日とはそんな日でもありました。 |
|
北陸新幹線W7/E7系。彼らがこれからの、本日からの、金沢駅の花形列車です。 |
|
おわり |