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北陸鉄道 能美線廃線跡 その4  (宮竹〜火釜)

宮竹駅跡を過ぎた辺りからそうなのか、気付いたのが遅かったのか、能美線跡サイクリングロードはサイクリングロードではなく辰口町の「町民スポーツヘルスロード」という名だったようです。
途中駅跡に公園があったり道路わきにベンチがあったりしますが、ジョギングしている人より散歩しているお年寄りの方がよく見かけました。年齢相応の「スポーツロード」として活用されているようです。
しばらく淡々と道は続きますが、集落が切れ、田園地帯に出、道路としても目印の桜並木は続きますが、車道共用になります。この辺りに縄文時代の遺跡があるそうで、案内板がありました。
そして、他に特に目印となるものがなかったので特定はできませんでしたが、この付近に三ツ口駅があったと思われます。
例の「のみでん広場」の当時の写真からは、低い築堤上の小駅だったようです。見通しの良過ぎる環境から、電車の行き来が農作業のタイムスケジュールの目安となっていたそうです。
能美線跡はこの先、金沢市内現北鉄石川線四十万駅付近から白山市(旧鶴来町・松任市地区)、川北町、能美市(旧辰口町)を経由して、小松市の八幡温泉付近を結ぶ加賀産業道路にぶつかります。
旧寺井町付近から八幡付近までの、国道8号線のバイパスが開通するまでは特に、金沢市南部から小松市南部やその先の加賀市を結ぶバイパスとして機能していた(いる?)高規格一般道で、交通量も多く、通過する車の速度も高め。
能美線跡は道路向こうにも真っ直ぐ続いていますが、通行としては中央分離帯があるうえに横断歩道などなく、若干迂回が必要となります。
産業道路を越えると右手に集落、左手に田園という風景が続きます。やがて左手に公園が見え、広場のように道路が拡幅すると、主要駅加賀岩内駅跡(左の画像は鶴来方向を向いています)。
遺構は一切ありませんが、この空間取りに、スーパーを併設したJA施設があり、駅跡の空気は濃厚です。
駅の跡地としては、それを示す石碑があります。
「のみでん広場」の写真によると、木造駅舎があったようです。写真を見る限り棒線駅に見え、末期は無人化されたそうですが、当初は貨物線もあって農作物や織物などの物資輸送も盛んに行われ、また遠方からの流動も多くあったため、「国鉄併用切符」が沿線では最も多く売られた駅だったそうです。
さて加賀岩内駅の脇では公道が横断しており、その先は田園地帯となります。正面に真っ直ぐ延びる農道が能美線跡かと言われると、おそらく違うようです。
田園の向こうに見える集落は火釜。あの中に火釜駅があったのですが、この農道は加賀岩内との両駅跡を結ぶ方向ではないですし、また路線跡を示す痕跡も発見できませんでした。
この付近が能美線跡として、路線跡かまたはそれに近いルートが最も途絶える地点で、地図上からも農地整理を示すような碁盤目のような農道が走るのみです。
しばらく周辺をぐるぐる回ってたどり着いた、この付近が火釜駅跡らしいのですが、ただの集落の片隅で、「この辺りに駅が…」という地点の仮定すら難しい駅跡です。
下の画像は火釜駅跡から加賀岩内駅跡の方向を向いたもの。畦道や農道のようなものもなく、農地へは立ち入っていませんが、見た感じ、路線跡、駅跡の遺構は一切ありません。
「のみでん広場」の現役当時の写真からも、痕跡の残りづらい小駅だったことが伺えます。
(サイクリングロードとなっている区間のうち、火釜手前から加賀岩内は灯台笹前後と共に、造成により路線跡が消えているのが地図上でも伺えます。)
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