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東北へ行くのだの巻  その1

しつこいようですが、自分の旅は大々にして無計画です。以前にもこのコーナーで書いたとおり「そう言えば最近○○って行ってないないなぁ」から「よし行ってみよう」と目的地を決めることが多いわけですが、実はさらに、そうして決めた場所は、今度は中々修正が効かない、つまり「行かないと気が済まない」にまでなってしまうことも多々あります。

そういったわけで、こうした「根拠のない意志と無計画」、これが避けられたはずのハプニングを招くこともあるわけです。しかし多少のハプニングでもなければ旅行記も中々書きづらかったりもするわけで。

今回は大きい、けれども話題としては書いてしまうと大したことのないハプニングの平成18年8月初旬の旅行記です。
 

○東北へ行くのだの巻 〜金沢駅にて〜

自分の「○○へ行こうかな。」にはなんとはないサイクルがあり、当時は夏に西へ、冬に東へという傾向が定着しつつあった。別に暑い時期に暑いところへ、寒い時期に寒いところへ、といった趣旨ではない。単に、初めがいつかは最早定かではないが、たまたま一方が飽きるころに反対方向へ、という気持ちのサイクルがその季節だったというだけ。

そのサイクルを壊そうとしたのか、この年の夏、なぜか東北に行きたくなった。ターゲットは五能線。どうせ東北を狙うなら日本海沿岸筋、しかも日本海縦貫線よりも海側は、駅巡り取材の中でもウチの支所としては優先したい。

そんな折、たまたま勤務の都合上8月初めに三連休が組まれた。これ幸いと珍しく計画を立て、その休みの週半ば、仕事帰りに金沢駅へ寄り、切符を買いに行く。そもそも計画を立てたのは相手が超ローカル線であるため。寝台特急「日本海1号」で東北へ向かい、青春18切符で朝一番から現地で動き出すという計画である。

ところが計画の中には一区間のみであるが臨時快速「リゾートしらかみ」が入った。この列車は青春18切符でも乗車可能だが、全席指定のため僅か一区間とは言えその指定券が必要。この指定券が取れるか否かにこの計画の成否が問われることとなっていた。

前売り担当の窓口で当日の「リゾートしらかみ1号」の空席状況を確認する。

「少々お待ちください。…ああ、お取り出来ますよ。」

よしもらった。五能線は遠いうえに列車本数が少ないので、そうそう多くはない三連休というチャンスを逃したくはない。

「じゃあ、その『リゾートしらかみ』の指定券と、あと、その日の朝に着く金沢から秋田までの『日本海1号』を。」

と、この台詞を聞いた瞬間、窓口のお姉さんの動きが止まった。そしてこちらを向き直す。
怪訝に思い、どうかしましたか?、と尋ねようとした、それより一瞬早く、お姉さんが口を開いた。

「日本海号は羽越本線の先日の大雨の復旧作業のため、23日まで運休しております。」

聞いた瞬間その意味が理解できなかった記憶がある。
「昼間の特急『いなほ』なら動いておりますので、そちらをお取りしましょうか?」、そう聞かれた記憶もある。そんな夕方や晩に現地に入っても何の意味もない。ちょっと絶句したあと、「…とりあえず考え直してみますわ。」、そう言ってその場を離れた。

とにかく、確かに事前に知りようがなかったのかと問われれば多分立つ瀬はないのだが、意外なところから計画は霧散してしまった。その事実が即座に飲み込めなかったのである。

 ハイ消えた…

ところが、ここで冒頭の性分である。さすがに五能線は最早有効に回れる手立ては潰えたことは否めない(逆に言えばこの「日本海」の北陸・上越対北東北方面への独占性を、JRは積極的にも消極的にも、本当によく理解してほしいと思う)。しかし、やはり、…東北へ行きたい。いや、このころ既に「行きたい」から「行かねばならない」になっており、そうなると次なる選択肢へと足を向けることになる。

五能線は仕方がない、でもとにかく東北。金沢から東北へ、早朝に現地入りできるもう一つの手段、それは夜行バス仙台金沢便である。仙台方面にだって未取材駅はある。地平時代の北鉄金沢駅があった場所に現在北鉄バスの切符売り場があり、そこへ向かった。

「すんません、金曜の仙台便、空席ありますか?」「申し訳ございません満席でございます。」

即答である。実は予想はしていた。この夜行バス仙台金沢便は、実は中々のプラチナチケットなのだ。学生が夏休みともなる週末に、今から空席があるとは思えなかった。


終わった…。東北…。

 これも消えた…

ところがこうなると益々「東北、いや、仙台へ行かねば」の思いは強くなる。


実はもう一つ選択肢がある。
飛行機や新幹線などコストの高い大仰な手段や、自家用車のように疲労を強いられかつ現地入り時刻があまりに不確かな手段を用いず、当日早めに家を出さえすれば確実に移動でき、それなりの時刻に東北圏に入れる手段が。

ベストではないが、それが第三の選択肢、つまり「男なら能登」、である。

というわけで週末、急行「能登」で、大宮経由で東北を目指す。

駅巡りのターゲットが五能線から東北本線南部となった時点で計画は立て直せなかった。「どこまで」は成り行きとしても「どこから」すら決まっていない。とりあえず降りてから考えよう。
金沢駅での、急行「能登」入線前、ワクワク感のつのる夜行列車待ちのひと時。やはり学生風の客が多い。左手の6番線には「能登」を追って雁行する特急「北陸」が一足早く入線している。
急行「能登」が東金沢の車庫より入線。昼間の特急「雷鳥」の往時の姿を偲ばせるボンネット型車両も、優等列車として、金沢のみならず全国で定期に見られるのはこの列車だけとなった。
「能登」に乗るのは上越線南部や信越本線南部などの駅取材をした昨年の夏以来。この日の「能登」はその時と比べ乗客が多い。とは言え席が埋まるほどでもない。やはり以前に比べ客は減っているのだろうか。

しかし出発してみると前回同様、意外に津幡や石動、高岡などからの乗客が多く、こうした客は見た限り「昼行最終便」としてではなく、純粋に「夜行便」として「能登」を利用しているようだ。
思えば、金沢や富山などからは夜行バスという強力なライバルがあるのに対し、これらの街から東京への夜行直通便はない。石動(小矢部市)からは、事前に移動するには金沢へも富山へも半端な距離があるし、津幡は能登方面から直接の接続駅で、特に東へ向かう場合はこの駅で乗り換えた方がよい。続行する寝台特急「北陸」も津幡には停車するが、なるほど「能登」の存在理由には、こういった客層もそれなりの比重を占めるわけだ。

早朝5時半過ぎに大宮到着。今回も乗車中の多くは本を読んでいたが、それでもまだよく眠れた方だった。さてこれから東北本線を北上するが、どの辺りから「駅取材」を開始しようか…。
早朝の大宮駅に到着。
このあと隣のホームに金沢からの続行の特急「北陸」も到着。
○濃密な空気 〜黒磯駅にて〜

さて東北本線の駅取材だが、仙台以南については、磐越西線や奥羽本線の取材時に郡山、福島の近辺のみ済んでいる。それから取り合えず区切りとして今日は仙台泊としたい。宿も取っていないので、なるべく都会泊の方がよいだろうという目論見もあった。

仙台に宿を探せる時間帯に入るのが前提となると、駅取材もそれほど南部からは始められない。それに実は田舎者のサガか、どうにも都市近郊の駅はもう一つファイトが湧かない。ついでにろくに眠れなかったのでどうにもだるい。
という訳で、取材スタートは地元北陸と交流電化の親近感も含め、黒磯からとし、順に北上することにした。
7時過ぎ、小金井駅到着、乗り換え。
7時半、宇都宮駅到着、乗り換え。
大宮から小金井、宇都宮で乗り換え、黒磯には8時半前に到着。一旦下り方隣の高久駅のみ取材したあと黒磯駅に戻り、そば屋で朝食をとる。

構内へ戻ると国鉄色の485系回送列車が到着、続いて赤べこ色になったばかりの特急「あいづ」(臨時延長運転だったようです)が到着と中々忙しい。続いて赤い交直流型電気機関車EH500に引かれた上り貨物列車が到着、青い直流型電気機関車EF65が機回しで動き出した。

この構内での貨物や客車の機関車交換はどのように行うのか昔から不思議だったが、構内に交直切替機器があるのを初めて知った。そしてこうして続々と到着する列車にカメラを向ける人たちが少なからずいた。

自分の世代では特急「ひばり」「やまびこ」「はつかり」「つばさ」「やまばと」「あいづ」や急行「まつしま」「あづま」などが雁行し、晩は晩で夜行の「はくつる」「あけぼの」「北星」「八甲田」「つがる」「新星」など、東北各方面への、華やかな名だたる優等列車群が、ひっきりなしにやってきて、交直セクションという関所を越えていた駅という印象がある。優等列車・夜行列車街道東北本線のイメージリーダー駅の一つだった。

その時代の濃密な空気は随分と薄れたが、貨物列車をはじめとして、その残照を思わせる、独特の活気を持つ駅だ。
そして8時半少し前に黒磯駅到着。
国鉄色の485系電車の回送車両が到着。
交直流型電気機関車の牽引する貨物列車が到着。
機回しされる直流型電気機関車
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