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尾盛駅訪問記 〜人の残滓とにこやか車掌さん〜 その1

大井川鉄道井川線。電源開発のために南アルプスの奥地へと延びた鉄道で、現在でも沿線住民の生活を背負っての鉄道という性格は極めて希薄な、ほぼ観光需要に特化した特殊な路線です。
そもそも沿線人口そのものが希薄であり、小さいながらもそれなりの集落にあるのは奥泉駅と接岨峡温泉駅くらい。つまり残りはいわゆる「秘境駅」の範疇に近い訳ですが、中でもとびきりの秘境駅があります。それが終点2つ手前の尾盛駅
駅勢家屋ゼロ、通じる公道無しという、全国でも指折りの秘境駅です。これはそんな尾盛駅への、平成20年6月の訪問記です。
(※大井川鉄道は正式には「大井川鐵道」と表記しますが、ここでは便宜上「鉄」の字を使用しました。ご了承ください。)

この日は今行程の大井川鉄道「取材」の2日目。金谷発二番列車から動き始めるも、本数の少ない井川線の中のみでほぼ一日を終える予定。
いきなり余談ながら、そもそも大井川鉄道の起点金谷近辺はおそらく金沢から同じ中部圏で最もアクセスしづらい地区だと思う。
王道は特急「しらさぎ」で米原乗換えし新幹線で浜松か掛川へ出る行程であろうが、運賃・料金は片道1万円を超える。航空機の静岡小松便もあるが(現廃止)やはり高い。「きたぐに」+18キップという手もあるが、18キップの時期ではない。代わりに、ではないがJR東海には「青空フリーパス」と「休日乗り放題切符」もあるが、エリアが途中で切れるため、単に米原と金谷を往復するだけなら利用する意味はない。
そもそも金沢という地は、夜行列車発で到達する地からは、大概復路に苦労する。
本所「鉄道雑学研究所-苦行.net-」の「旅の記憶・旅の記録(佐賀編)」(現在削除されました)でも、まず現地へのアクセス方法に冒頭から苦慮するシーンがあったが、「取材旅行」(本所曰く「苦行」)ではわりと付き物の悩みでもあったりする。航空機や新幹線が無駄金とは言わないが、つまりは費用対効果である。普通列車各駅下車が目的であるのに、そこへの過程になるべく費用をかけたくないのである。
そんなこんなで結局自家用車で現地入りすることにした。余談の重ね塗りになるが、しかしこれもこれで、北陸道から米原経由または郡上八幡経由で東名に出るとやはり高速料金が相当かかる。
ではなるべく距離を抑える、となると金沢から神岡、平湯、松本、飯田を経由し、秋葉街道を通って二俣から掛川に出る、というルートとなる。この間高速道路を利用できるのはフル利用でも金沢〜富山と松本〜飯田程度。というわけで時間はかかる。
延々何が言いたかったかというと、地元金沢からは「全国レベルでは比較的近い地区」という前提において、呪われたようにアクセス困難な地区であり、金曜晩発の2日半がかりの行程でも現地での活動時間はかなり絞られる、ということである。実際大井川鉄道の「取材」は今回で終わるものではない。
というわけで、前日は昼過ぎにようやく現地に到着し、今日も夕刻早めに現地を離れなくてはならない。今回使用するキップは「大井川・あぷとラインフリー切符」。大井川本線と井川線全線2日間乗り放題のフリー切符で、5,500円とやや高いが金谷と井川を往復するだけで6,180円なので元は十分に取れる、…と考えたい。
ようやく話を戻して、2日目の朝。宿泊した藤枝のビジネスホテルを早朝に出発し、新金谷駅前でパークアンドライド。天候は雨。しかも土砂降りである。
一旦普通のキップで金谷に戻り(フリー切符は残りの日数や時間があろうが金谷で下車すると回収されてしまう)、金谷駅を7時少し前に発車。
車両、しかも大手私鉄のものは殊更からっきし疎いのだが、これは元南海の車両だっただろうか。ガタゴト揺られながら約1時間、大井川本線終点、井川線乗換駅の千頭駅に到着した。
雨の金谷駅。乗車する千頭行二番列車。
千頭駅到着。
千頭は言わば沿線集落の行き止まり。寸又峡など奥大井への玄関口として、駅周辺はそれなりの観光駅の趣があるのだが、まだ朝が早いため店などは開いておらず、駅そば屋も残念ながら開店前。駅の売店が開いたのでパンの朝飯とする。
乗り換える井川線の列車は、千頭発の一番列車で、9時ちょうど発。まだ小一時間ある。この間大井川本線の到着列車もさらに1本あることもあり、駅周辺はかなり閑散としている。幸い雨は小康状態となったが、曇天が閑散とした雰囲気に拍車をかけている。
まだ早いがすることもないので構内に入ることにした。千頭駅構内には保存車両や転車台などもあり、それなりに「取材対象」が多い。と、ふと見ると改札に張り紙がある。
「お知らせ 井川駅付近で崩土があり井川駅構内より外へ出られません」
…はあ?
今日の行程にはその井川駅も含まれているが、大丈夫なのか…?
まあ自分の場合は観光ではないので、駅が撮影できればそれで構わないが、その駅舎の撮影は可能だろうか。
8時45分、井川線の列車が入線してきた。
自分としては井川線は黒部峡谷鉄道とイメージが重なる。確かに性格上酷似している路線だが、相違点も多い。
まず井川線は非電化路線であるため乗り場がどうもスッキリしている。
また軌間も黒部峡谷鉄道が762ミリのミニサイズなのに対し、井川線は車両こそ小さいものの1,067ミリ(762ミリで開業も、昭和11年に改軌)とJRと同じ軌間であるため、低いホームから見る線路幅がやたらと広く見える。
川根両国方に貨車の留置があったが、保線用だったのか貨物輸送はないようで、宇奈月駅の貨物ヤードのような物々しさはない。ダム関連の物資輸送は、路線並行とは言えないが、井川ダムまで道路輸送も全く不可能ではないからだろうか。その辺はよく分からない。
ふと見ると大井川本線ホームに千頭終着の列車が到着した。が、井川線へは一人カメラバックを抱えた男性が乗り換えてきただけ。この天候だからだろうか、それともまだ朝が早いのだろうか。日曜日だというのに、予想以上に人が少ない。
黒部峡谷鉄道は中国や韓国からの団体客も多いためか、オフシーズンの平日に2度ほど乗ったことがあるが、いずれも結構賑わっていた。しかし今日の千頭駅井川線乗り場では逆に自分が曜日を間違えて、仕事をサボってこんなところにいるんじゃないだろうかと、妙な不安を覚える。

まさか井川の土砂崩れがニュースとなっているわけではあるまい。出発前にこの列車の車掌さんに聞いたところによると、崩土は昨日午後のことだったらしい。昨日の大井川線沿線は雨は降っていなかった。ついでに井川駅の駅舎から外には出られるかも確認したところ、駅前に小さな広場があるので、そこまでは出られるとのこと。

「行って帰るだけになっちゃいますねえ。すみませんねえ。」と屈託なく笑う。30代半ばから40代前半くらいの、眼鏡の、全体ににこやかな車掌氏だ。
自分は駅舎が撮れればそれで十分。もとよりそんな旅なのだ。その「広場」に駅舎を撮影するのに十分な広さがあるか否かだけが問題だ。
朝早いこともあり、閑散としている千頭駅。
井川線の改札口にあった張り紙。
それよりも車掌氏からはちょっと嫌な質問をされた。それは、「どちらまでですか?」
たった今井川駅の話を尋ねていたところであるが、最初の下車駅は実は早速の尾盛駅であった。あんなところに降りても何もないしどこにも行けないぞ、と、そんなリアクションを受けるのが何となく気恥ずかしいので、サラッと降りたかった。ましてや自分は「秘境駅巡り」をしているわけではなく「各駅巡りの一環」に過ぎない。大手を振って、「あの尾盛駅へ行きます!」と「宣言する」のはどうにも抵抗があった。
まあしかし実は知っていた。井川線ではフリー切符でなくても事前に下車駅を尋ねられることを。これは世間話の一環ではないようなのだ。
仕方ないので尾盛下車の意向を告げると、にこやかな車掌氏はごく一瞬だけ予想どおりの表情をしたが、すぐににこやかな表情に戻り、予想どおりのコメントを返してきた。何もないですよ、と。
しかしこういう客も珍しくはないのだろう、何しろ列車以外での到達難易度は室蘭線小幌駅や飯田線小和田駅などと並び全国屈指である一方で、通過列車がなく、列車では確実に到達できるため、一部では「理想的な秘境駅」との呼び声もある駅である。事実尾盛駅の利用者数は「何もない場所から出られない」にもかかわらず、計算上1日平均1名を超える。
井川線の発車案内。
これから乗車する井川線井川行一番列車。
その1 /  /  / 4(おまけ)
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