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尾盛駅訪問記 〜人の残滓とにこやか車掌さん〜 その3

さてもう少し散策範囲を広げてみよう。まずあまり何もなさそうな下り方から。こちらはダム放流のサイレンに関する新しい看板がある程度で、先ほど列車の消えていった切通しのカーブを覗いた程度で戻った。
そして上り方へ。まず目についたのは構内端にある、詰所跡のような廃屋。ような、というよりそのものだったのだろう。当然施錠されており入ることはできない。
この先には沢を越える小さな橋梁があるが、その左右に石積みの擁壁や建物の基礎などの小さな集落の痕跡が見て取れる。まず左手、崖下側には生簀や窯のようにも見える構築物があった。何の痕跡かは分からないが、第一印象は林の中の「野営場」。お気楽に言えば、朽ちたバーベキュー広場のようにも見えた。
右手の山側には石積みの擁壁があり、その上へ上がる石段とスロープがあった。上がってみると何もないが、何もない「平地」があった。明らかに人工的に造成したもので、僅かばかりコンクリートの基礎が見えた。
なおここには下の路盤に向けての古い看板があった。文字がかなり薄れてしまっているのと手前に木が茂り読み取りづらいがどうやら「茂る緑に豊かな社業 駿遠林業株式会社 尾盛造林所」とある。これはこの地に人の営みが存在した頃の名残であろう。しかし何より感じ入ったのは看板の「尾盛」の文字
車内放送によると、かつてこの地には電源開発のためのそれなりの数の宿舎があり、小学校まであったらしい。石積みの上の平地は学校跡地だったのかもしれない。林業の看板が集落にどこまで寄与していたものか(林業関係者がどれほど在住していたか)は不明だが、とにかくそれなりの規模の集落があったようだ。
現在この地は広域な山林地帯を含む「犬間」という地名となっている。尾盛はおそらくここの字名なのではないかと思うのだが、人が必要と欲するからこそ地名がある訳であり、無人地帯となった今、尾盛の名を現在に残すのは、駅と、この看板だけなのかもしれない。
学校跡と思しき平地のほかにも段状に整地されたような痕跡もなんとなく残っているが、集落はそのようにタテに展開していたようで、路盤脇に戻るとそこから先には路盤上以外の平地はなくなっていた。
構内上り方にあった詰所跡と井川線18キロポスト。
尾盛の集落の痕跡。建物の基礎には見えませんが生簀でしょうか?
林の中には苔生した窯のような遺構も見えました。
路線の山側に石垣があり、石の階段が上に通じていました。
石垣上の空間。何もないですがキレイに整地、狩払いしてありました。基礎コンがあり草木が育たないのかも。学校跡地かもしれません。
駿遠林業の看板。読みづらいですが一番下に「尾盛造林所」の文字があります。駿遠林業は島田市に本社のある現役の会社(現株式会社スンエン)です。
この辺りで小康状態だった雨が再び強くなり始めた。というよりふと気づくとかなり強い勢いで降ってきていた。元々小雨も降っていたので着ていたパーカーのフードをかぶっていたのではあるが、アスファルトやコンクリートといったものがほぼない環境なので、強い雨も「バシャバシャ」と大きな音は立たない。「サーッ」という音が空間全体に広がるだけ。雨の強さもしばらく実感がわかなかった。
雨宿りのため駅の待合所に戻る。ここには駅ノートがあったのでちょっと覗いてみた。この環境に魅入られたことや、「念願の尾盛駅、ようやく到達!」のような書き込みが多いが、それと同じくらい多かったのが鉄路以外での到達武勇伝だ。
背後の山を越えてくる登山道があるらしいのだが、他にも接岨峡温泉駅からの遊歩道もあるらしい、と言うより「あったらしい」。
現在も一部に吊り橋などが残りそれなりに辿れるようだが、吊り橋が崩落したり路面そのものが崩落したりという箇所も多いようで、普通に通れる状況にはないらしい。車掌氏があまり駅から離れないようにと言っていたのは、この危険もあったからかもしれない。
しかし話が戻るようだが、それでなくても熊が出ても何ら不思議ではない環境であり、野犬もいるような記述も見たことがある。駅へ戻ったあと気付いたのだが、廃ホームの狸の置物の前には、どうやら「リアル狸」のものと思しき頭蓋骨を含む骨が散乱していた。(北広島支所の「駅と駅構内」尾盛駅のページにあった、「待合所の動物の頭蓋骨」はコレを拾って移動したものだと思う。)
そして実はこの駅ノートを読みながら待合所で雨宿りしている最中、山の方の草むらで何度か「ガサガサッ」という、小さくはない何かが動く音が聞こえた。最初は同じ列車から下車した作業員が戻ってきたのかと思ったが、一向に姿は見えない。その音が繰り返される度、うすら気色悪くなったりはしたが、ジタバタしたところで列車が来るまでこの空間から「脱出」は出来ない。
雨の合間に再び構内をうろつく。そしてこの地にかつてあった生活に思いを馳せる。都市部へ電源を供給するため、それともしかしたら都市部へ建材を供給するため、千頭集落から20キロ近い上流の平地も乏しいこの山中に、移動は鉄道と徒歩に頼った生活があったのだ。
「脱出」のための列車時刻が近づいてきたので「現ホーム」へ戻ると、遠くから汽笛が聞こえた。ディーゼルエンジンのうなり声とレールのジョイント音が大きくなると、75分前に列車が消えていった切通しのカーブから、井川で折り返してきた列車が現れた。作業員は結局戻らず、自分一人のみの乗車となった。
列車には引き続き先ほどの車掌氏が乗務しており、にっこりと笑顔をつくって迎えてくれた。
生皮剥がれたような並木。人為か動物の仕業かは不明。
植樹の並木を守る爺様たち。って守ってんのか?
雨の尾盛駅。
「迎え」の列車が出現。ホッとするような名残惜しいような瞬間。
ホームページを持っているということをあたかも武器のようにこんなことをぶち上げるのも気が引けたので詳細は記さないが、実は昨日の1日目の大井川本線の取材時に、自分は複数の駅員に腹を立てていた。うち一人には、自分は本当にこんなことはそうそう滅多にないのだが、そのあまりの態度、物言いに、眉間にしわを寄せて「はぁ?」と語気を荒げて聞き返してしまった。
地方民鉄、特に「地元の雄」的な会社では、全てがそうとは決して言わないが、たまに見られる傾向で、接遇は良くも悪くも社員一人一人の人柄に依存している傾向があるように思う。
そしてその結果、昨日の時点で正直言って大井川鉄道の印象は全般に悪かった。というよりそれなりの数の駅を巡っていることを自負する自分にとって、むしろ最悪のレベルだった。
しかし今日の井川線は、さすがに純然たる観光線のためか、どの方もすこぶる感じが良い。特にこの車掌氏は非常に物腰が柔らかく、丁寧だ。
井川線の車両はドアが手動なので、駅到着のたびにダッシュして全車両のドアの開閉を行い、アプト区間では補機の連結解放もあり、常に全力で走り回っている。まるで運動部のような激務をこなしながらにもかかわらずだ。
ただこの人の場合、丁寧という以上に、ただ根がひょうきんで、話好きなのかもしれない。そんな印象だ。
この後訪問した井川線各駅の駅員さんも含め、この2日目のおかげで、現在に至るまで自分にとっての大井川鉄道のイメージは結構よい。単純なものだ。
乗車した列車は尾盛駅を発車した。ほどなくあの車掌氏が声をかけてきた。

「お疲れ様でした。ご無事で。」
「有難うございます。そんなにうろつかなかったですから。」
「…何も出ませんでした?」
は?
狸の骨や生皮剥がされた木の幹、ガサガサと何かが動く音が思い出された。
「いや、特に熊が出たとかそういうことはなかったですけど…」
「あ、いや、動物じゃなくてね。」
はああ??
山賊でもいるのか?
自分が怪訝な顔をすると、車掌氏は自らの両手をさし出すと、指を下にして手の甲をこちらに向けた。いわゆる「うらめしや」のポーズだ。
出るらしいのだ。昼だろうが関係なく。
遭難した人の魂が。
先に言ってくれよー、と思いつつ、思えば下車前にそんな話をされなくてよかったか。それもそれで車掌氏の配慮だったのだろう。
今は遭難者も出る山間の無人地帯。しかしかつては集落があり、人の生活があったのだ。そこには当然人の生き死にもあったのだろう。それもそれ。遭難者だけとも限らない、人の残滓ではないか。

先ほどまでいた雨の尾盛駅に思いを馳せ、再び古えのかの地での生活に思いを馳せながら、列車の後方を眺めてみた。尾盛駅は既に幾度となく過ぎたカーブの裏、もはや視界の届かない場所に消えてしまっていた。
本編おわり
その /  / 3 / 4(おまけ)
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