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遅れはしょうない、お詫びは聞きあきた? その2

「遅れております秋田方面への列車は、弘前駅を20分程度遅れて発車いたしました。ご乗車の方は…」。

弘前からの乗車予定列車がこちらへ向かってしまった。不謹慎ながらこの列車の大幅な遅れを期待していたのだが。さてどうするか。時刻表はもはや全く当てにならないが、予定の立て直しは困難のようだ。これ以上の足止めは先のスケジュールへの影響が大きすぎる。あとほんの2駅まで迫りながら、弘前駅は諦めざるを得ない。断腸の思いで上り列車で引き返す。

引き返すと隣の長峰駅には続行の「日本海3号」が停まっていた。そう言えば自分が乗ってきた「日本海1号」はどうなったのだろう。大鰐温泉から先、弘前までは駅は石川駅1駅しかない。少なくとも「日本海1号」の後発に、秋田で接続を受ける普通列車青森行きがあるし、貨物列車を含めるとそれ以降も多くの列車が出ているはずだが、大鰐温泉と弘前の間には1列車しかいなかったことになる。となると「日本海1号」は少なくとも弘前は越えたのであろう。
さて列車は矢立峠の区間の短いトンネルへ。とここで突然急ブレーキがかかり列車が停まった。

「只今線路内を作業員が歩いていたため緊急停車いたしました。」

「先が詰まっている」とか、「接続列車が遅れて」とか、経験した遅延は大体が「煽り」を受けてのものであるが、「渋滞の先頭」ってものはこうして出来るのであろう。保線作業員が車内に飛び込んできて、侘びている。運転士が無線で一通り顛末を報告しているが、意外に時間がかかる。
自分のとなりでは酒臭い爺様が大声で独り言を言っている。呂律はしっかりしているが、方言のため何を喋っているのかさっぱり分からない。話しかけられても困るので聞こえないふりをしていた。
鷹巣町の公園で、「遅れがけの駄賃」。保存SLを取材。
鷹ノ巣駅で遅れがさらに拡大。
鷹ノ巣駅へは予定より1時間近く遅れて到着。折り返しの下り乗車予定列車は既に出ていた。
遅延を期待はしたが、青森県境の下り方面が詰まっているのに、この辺りは流れているようだ。そしてその結果、次に下車予定の陣場駅も予定から削除されてしまった。予定を変更して次は正方向に上り方面へ向かうことにするが、この後1時間程度時間が空いてしまった。

仕方がないので鷹巣の町をぶらぶらする。役場近くの公園でSLの保存車両を見つけ、取材。せめてもの取材材料を見つけてよしとする。
なんとなく時間を潰し、駅に戻ると新たな遅延情報が出ていた。予想遅延時間は、…1時間…。
とんでもないことをサラッと書いてあるものだ。こうしてさらに1時間待ち時間が増えてしまった。こんなことなら秋田内陸縦貫鉄道でも区間往復すればよかった。最初からそれは考えないではなかったのだが、その列車がまた遅れることを思い、踏みとどまっていたのだ。はぁ。

結局この日はその後も列車が遅れに遅れ、東能代駅で日没を迎えてしまった。下車駅は予定より4つほど減ってしまっていた。この閑散区間ではこれは痛すぎる数字だったりする。
市街部で30センチくらいの積雪があった鷹巣町。雪中行進する猫がいた。
二ツ井駅から特急にチョイ乗り。
   
冬の落日は早く、東能代駅で照度が撮影限界に近づいた。一日目の「取材」はここで打ち止め。
秋田駅に到着。時刻はまだ18時前。この後夜間帯の照度ながら秋田駅構内を少し「取材」。
2日目は秋田から昨日乗った列車と同じ、羽越線上り一番列車から。
列車を待っていると「日本海1号」が定刻に到着した。今日は正常ダイヤなのだろうか。ここから予定を組み直せば弘前は行けるかもしれない。だが今回の主なターゲットはむしろ羽越筋である。弘前や、またこの秋田のような大きな駅なら立ち寄る機会も今後あるだろう。まずは予定通りに進もう。

さて羽越筋であるが、長躯大阪からやってきた「日本海1号」が定刻だったから、と思いきや、やはりダイヤには乱れが出ていた。

西目駅では定番の、「行き違いする反対列車が遅れております…」
岩城みなと駅を出ると、「次の羽後亀田駅のポイントが切り替わりません。只今作業員が向かっております…」

新しいパターンだ。そしてまた「渋滞の先頭」に立ってしまった。
海からの北風を孕む様な方向に延びる谷、その中にある土手の上で停止した列車は、強風に煽られながら心許なく揺れていた。昨日から列車の遅延が相次ぐためか、「列車遅れまして申し訳ございません」もどこか事務的な響きになってきた。
酒田から南はDC列車となった。久々のボックスシートである。
東北地方、特に羽越・奥羽筋の普通電車は、701系交流型車両を使用している。かなりの長距離列車も中にはあるのだが、この車両、都心の通勤型電車と同じく総ロングシートである。もちろん旅情もへったくれもない室内に、「その筋の」方たちにはすこぶる評判が悪い。

で、個人的にはどうかというと、実はロングシートが嫌いではない。「座る」というより「腰掛ける」と言った程度のベンチ感覚が気楽だからか、はたまた落ち着きのない性分なので、椅子というもの全般に対して横や斜めを向いて座るほうが落ち着くからだろう。空いた車内では進行方向に体を向け、窓枠に肘ををついてぼんやりと海を眺めていた。
ただ嫌いではないとはいっても、以前盛岡から郡山までの約6時間をロングシートに座り続け、腰を壊した経験がある。人間はやはり本来は進行方向に対して正対するものなのだろう。だから嫌いではなく、むしろ好んで座る方ではあるが、選択肢がない場合は拷問になるケースもあることは分かっている。だから両手を上げて賛成とはさすがに言えない。もう一つ言えば、ロングシートは目線のやり場に困るのだ。東北旅行は本が必須だなと改めて感じた次第である。

なお反対にこのボックスシートというものも、これはこれで確かに好きではある。特にこういった国鉄型DCのものが。幼少時は親に連れられて、北陸線とともに高山線や七尾線に乗ることも多かったため、郷愁を感じるからであろうか。一番「旅をしている」と感じるのはこの手の車両なのだ。
2日目の出発前。大阪からの「日本海1号」が向かいのホームに到着。
象潟駅到着。地吹雪が吹き荒れている。
 
車窓には冬の日本海。仁賀保付近にて。
内陸部も積雪は多くはないながらも地吹雪は止まず。余目駅にて。
庄内地方の各駅に降りた後、一旦東北圏から中部圏に入る。庄内地方南端のあつみ温泉から特急を使い、新潟県最初の駅、府屋に到着。ここで今回のスケジュール最長の2時間弱の待ち時間が出来る。日本海縦貫筋では大館〜弘前間と並び、村上と鼠ヶ関の間もやはり本数が極めて少ない。

府屋駅は山北町の代表駅であるが、はっきり言ってその周囲はただの一集落である。商店街などはなく、駅前には夜中には閉まりそうなコンビニと、最近出来たらしい喫茶店がある程度で、あとは古そうな民家が並ぶばかり。また府屋駅は駅裏手に国道を挟んで海に面する。ということでかなり風が強く、寒い。とてつもなく寒い。空っ風のような「切る」ような寒さではなく、湿気を十分に含んだ「刺す」ような寒さである。
寒いのは苦手ではないとは言っても、そりゃ暖かい方がいいに決まっている。こういう「何もない」中規模駅の周囲を散策するのは結構好きなのであるが、さすがにこの状況で外をうろつくのはキツイ。と言う訳で、ストーブのある駅の待合室で本を読むことにする。

今回、一部で長時間の待ち時間が出る予定を組んでいたため、暇つぶし用に珍しくCDウォークマンを持ってきていた。が、実はここまで一度も聞いていない。こういう時は本でも読んでいるほうが性に合うようである。出発時に金沢駅のハートインで買った2冊の文庫本は既に読み終え、鷹巣と鶴岡で順次「補給」したものに手をつけていた。列車到着までまだ1時間以上ある。

ふと駅員の動きが慌しくなってきた。時刻表を見ると上り列車が到着するようである。下り列車を待って再び東北圏に戻る予定であったが、どうせならもう少し南下してから乗車予定の下り列車を捕まえよう、ここで本を読んで過ごすよりも旅らしいし、この府屋から南は羽越線車窓のハイライト「笹川流れ」の区間である。明日通る予定ではあるが、別に先に見ておいて損はない。
そう思い立って到着した上り列車に乗り込み、時刻表を調べると桑川駅で下車するのがよいようだ。
桑川駅は道の駅併設で、駅前に海が広がる駅だ。駅に着くと凄まじい波音が聞こえる。展望台や海辺の広場のようなものもあるのだが、10分もしないうちに下り乗車列車がやってきた。名残惜しさを感じつつ車内に入る。

次の今川駅では「反対列車待ち合わせのためしばらく停まります。」と車内放送。
ついでにこの駅の「取材」もしてしまおう、とホームに出る。しばらく経ったが対向列車が来る気配はない。ふと見ると列車前方の信号が青に変わっている。あれ?と思い、再び車内に戻った途端に扉が閉まった。

「あ、危ねえ…」。


どうも対向列車に遅延が出ていたようだが、車外にいたので車内放送が聞こえなかったのだ。この閑散区間で、この冬の海沿いの強風の中、置いてけぼりを食らうなどとは恐ろしい。

とにかくこの先は再北上。酒田で乗換え、秋田へ戻る。今日も秋田泊である。
あつみ温泉からまた特急にチョイ乗り。
今川駅停車。背後には炸裂する波濤。
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