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遅れはしょうない、お詫びは聞きあきた? その1

年明け、冬。シベリア寒気団が接近し、週末の天気予報の地図では、日本海側に雪だるまマークが見事に並ぶ。
そんな3連休、東北地方の日本海側に行ってまいりました。
なんでまた、と言われると、理由は「行きたかったから」としか…。別に雪だから、でも冬だから、でもなく、ただ行きたかっただけ。もちろん冬将軍の接近は知っていましたし、3連休ということで宿が取れるかも分からない。雪がひどい場合は帰って来ることができるかすら怪しいものである、が、「可能性を潰す理由はいくらも考えられる。可能性を生かす理由を考えねばならない」。旧年中心に沁みたこの言葉を、どこか使い方が間違ってるとは思いながらも頭の中で反復させ、夜行特急「日本海1号」秋田までの切符を購入したのでした。

さて、無計画がすっかり染み付いている私の脳であるが、流石にここは念入りな計画を立てねばなるまい。ちょっとそこまで、という感覚で行ける地区ではないし、列車本数も少ない。もちろん真冬であるため、宿は事前に確保しなければならない。久々に時刻表と格闘し、なんとか予定が組みあがった。

が、その途端、弘前駅改築オープンの情報を得た。弘前駅は「研究済み」であったが、当時は工事中の仮駅舎であった。これは計画に加えねばなるまい。しかし「取材」対象に弘前駅が加わった途端に、計画は暗礁に乗り上げた。何度か煮え湯を飲まされているのだが、大館と弘前の間の列車本数が極めて少ないからだ。

年明けの仕事の多忙さも後押しして、とうとう予定は未定のまま決行の日を迎えてしまった。とりあえず初日は秋田泊、ということしか決まっていない。仕方がないので寝台に揺られながら計画を立てることにする。

寝台車に揺られながら積んでは崩しを繰り返し、時刻表と睨めっこすること数時間、「完璧だ…」。ついに予定が組みあがった。

使用する切符はもちろん青春18切符。区間乗車で数箇所特急が入ってしまったが、弘前に寄らない当初の予定でもそれは避けられてはいなかったし、逆にむしろ減っているくらいだ。前回訪問時雪に埋もれてしまっていた陣場駅も、閑散区間の只中ながら予定に組み込めた。1時間以上の待ち時間ができる駅にしても、いくつかどうしても入ってしまったが、それ以外は大体程よい滞在時間に収まっている。

問題があるとしたら、3日目に秋田駅での1分乗換があることと、これから3日間、拠点となるその秋田駅が日照時間内に組み込めなかったことだが、これ以上は如何ともしがたかった。ともあれ、あとは秋田での2泊目の宿を確保してこの計画は完成する。
仕事が気になりつつ、悪天候が気になりつつも、ワクワク感は否めない出発前のひととき。
寝台に寝そべって計画を立てる。振動をものともせずに、細かな文字を注視していたためか、実はこの後若干気分が悪くなった(笑)。
さて今どこだろう?車内放送は富山を出たところで終わっている。陣取った上段寝台からは外が見えないので、通路に出て一服。今日は中々の乗車率。私のいるボックスも全て埋まっている。この車両全体も「空室」は1つ2つある程度だ。夜行列車斜陽のこの時代にとなんとなく安堵していると、やがて大きそうな駅に入り、停車した。直江津のようだ。そろそろ日が変わる。翌朝の秋田は5時半の着。車内放送もないらしいので、もう寝よう。…と思いきや、眠れない。

白状するが、実はこの開放型寝台車に乗るのは初めてで、寝台車自体も出張で数度「北陸」に乗ったに過ぎない。仕方がないので出発前に金沢駅のハートインで買った本を読む。どれくらい経っただろう、寝転がりながらブラインドの隙間から外を覗く。
今通過したのは、…坂町だ。今のは、…越後寒川だ。こうして駅を「研究」していると、僻遠地の夜中の通過駅であるというのに把握できてしまう。妙な特技を身に着けてしまったものだ。やれやれ。次は、…ちょっと大き目の駅、あの青い改札ブース、…羽咋だ。

…羽咋?

どうやら少し眠っていたらしい。なぜ羽咋なのかわからないが、とにかく羽咋駅の夢など見たのは生まれて初めてである(笑)

再び眠れなくなったのでまた本を読む。列車は羽後本荘に到着した。今から寝るとさすがにマズイ。寝付けない車内では、必ずと言っていいほど下車駅間際で寝入ってしまう困ったクセがあるからだ。「蚕棚」の中で身を起こす。
 
冬休み中の3連休ということで、乗車率は良好の日本海1号。部活動の遠征試合らしき中学生の一団や、ビジネスマン風の方々、帰省の大学生らしきグループなど様々。
この旅に全く関係のない、羽咋駅。特徴的な青い改札。
ありきたりのコメントで恐縮だが、それにしても寝台料金、B寝上段で6,300円はやはりいかにも高い。運賃、特急料金は別途なので、これは純粋な「空間料金」であるのだが、今日びそれなりのアメニティを誇るビジネスホテルで4,000円台のところもザラにある。このB寝上段に至っては、はっきり言ってカプセルホテル以下である。半額であっても相応のような気がするし、せめて特急料金込みでこの料金にするか、逆に「北陸」のようにコンパートメント化してアメニティの向上を図るか…。

もちろん夜行列車内の「特殊空間」であることのコストは無視できまいし、また利点として「寝ながら移動」「朝に目的地に到着」というのが夜行列車最大のセールスポイントであるのは論を待たない。しかし反対に、これは夜行で出張に行くことを告げた際に上司に言われた言葉だが、下車後即その日一日が始まるというのは、「どうもシャキッとしない」のだ。そしてこれが夜行列車斜陽化の本質的な要因だと思う。最大のメリットが最大の弱点に直結しているということだと思う。

しかしこれは致命傷ではなく、打てる手はあるはずである。下車前に「シャキッ」とさせる方策を探せばよいのである(笑)。が、費用対効果のミスマッチが生じているのだろう。また夜行列車は必然的に長距離列車となるため、運行区間がJR複数社にまたがるのが通常で、会社間の思惑が調整しがたく、テコ入れが難しいとも聞いた。

個人的には夜行列車はやはり便利であるし、この狭い空間は嫌いではない。ただしあくまで個人的には、である。この「日本海」などは競合する選択肢が少ないためか比較的人気は高い方だが、そう言っていられる内に、なんらかのテコ入れと、そして「宣伝」。これは必要なのだと思う。
定刻に秋田に到着した日本海1号。思ったより雪は少なく、遅れもなし、で一安心。
今回の第一走者は秋田発の羽越線上り一番列車。隣にいるのは奥羽線下り一番列車弘前行き。
5時28分定刻秋田に到着。秋田駅のホームには氷が張っていた。さすがにかなり寒い、が、嫌いな寒さではない。自分は夏より冬が好きだし、どちらかと言えば寒さに強い、というより暑さに滅法弱いのだが。

これから一旦逆戻りして、羽越筋を南下した後再北上する予定。この「日本海1号」の接続を受けるように、早朝の秋田駅からは各方面への普通列車が次々出発する。当初大館と弘前の間の閑散区間を早くパスしようと、即北上する計画だったが、一旦南下することを検討した途端に予定が組みあがっていったのだ。その弘前行きと並んで入線している酒田行きに乗車。最も懸念していた「雪によるダイヤの乱れ」は問題ないようだ。

もっともこの懸念も、秋田駅がまだ夜間帯の暗さであることも、夏まで待てば解消していたことなのであるが、今更言って詮はない。夜明けまで、そして最初の「取材」駅羽後岩谷まで、しばし仮眠する。
7時前に羽後岩谷着。東に来たとは言え、この時刻はまだ撮影に耐えられる明るさでなかったが、次第に次第に明るくなってきた。ここから行きつ戻りつを繰り返して数駅拾いつつ、北上する。車窓には冬の日本海が荒れ狂っていた。
千葉エリア限定の、あのMAXコーヒーの空き缶を羽後牛島駅の近くで発見。あとで聞くと有名なのはコレではなかったらしい。
東能代駅で花輪線直通の快速よねしろと交換。
明るくなった秋田駅では数分の乗換。この後何度も通るこの駅は、「取材」時間が十分取れていない。とりあえず構内を僅かに押さえてから下り列車に飛び乗り、大館へ向かう。大館から先はついに県境の閑散区間へ突入である。

大館駅に到着すると構内放送が流れた。

「…は運転を見合わせております…。」

うん?よく聞こえなかった。しかしここまで予定通り来ているし、確かに雪は積もっているが、日常程度の雪である。山を越える花輪線か秋田新幹線でも止まっているのだろう。とりあえず半端な時刻であるが、ここに来てようやく若干時間ができたので、ブランチとする。売店で駅弁を買い、ついでに店のおばちゃんに聞いてみた。

「今どこが止まってるんですか?」「弘前の方みたいですよ。」「………………え?」

実はもしやとは思いもしていたが、やっぱりか…。ここで再度構内放送。

「弘前地方大雪のため、弘前方面、現在運転を見合わせております」。ところがこの放送の後、改札口が開いた。
「弘前行きの改札を行います。」なんだかよく分からない。よく分からないが、とりあえず構内へ。

「弘前行きは、遅れています花輪線の列車の到着を待って発車いたします。」

なんだそういうことか。ただ次の下車駅弘前駅の予定「取材」時間は、駅規模から言って過不足ない。あまり遅れてほしくはないが、午後には1時間半の待ちが出る駅もある。玉突き的にそこで時間調整できれば、逆に申し分ない。何と言う楽天家であろう。
しかし花輪線の列車が到着しても、車内では運転士が無線でやり取りしている。一向に発車する気配がない。そして車内放送。

「弘前地方大雪のため復旧の見込みが立っておりません…。」あれ?
「この列車は“とりあえず”一駅進むことにします。」なんだそりゃ(笑)
初日の大館駅でいきなり予定は崩壊。遅延はともかく「運転見合わせ」の文字に呆然。
大館「待機」中の弘前行き普通列車。ここ大館駅は何とか出発。
そう、確かに当初の遅れの要因は弘前の雪。花輪線は関係なく、この列車自体の問題であった。
しかしどうせなら2駅進んで陣場駅で様子を見てくれればそこで陣場駅の取材を先に行え、予定が前倒しできるのだけれど。また都合のいいことを考えている。

もちろん甘くはなかった。次の白沢駅ではしばらく停車したものの、陣場、津軽湯の沢、碇ヶ関、長峰と、通常停車時間でどんどん先へ進んでしまった。と言うより本来「進んでしまった」と言う方がおかしいのである。
列車は大鰐温泉駅に到着。

「現在弘前駅の除雪作業を行っております。先の石川駅には先行の列車が停車しており、番線が塞がっていますので、ここでしばらく停車します。」

その「しばらく」というのがくせものなのだが、全く動き出す気配がない。向こう側に見える弘南鉄道ホームでは弘南のステンレス車が到着し、そして発車していった。このまま動かないなら弘南鉄道に乗換えようか。弘南鉄道もJR弘前駅共用のはずだからどこまで行けるかわからない、が、列車で行ける所まで行って、そこからJR弘前駅まで歩いてもいい。

同じく乗換を考えた客もいたようで、弘南鉄道の駅へ向かう一団が出来た。しかし次列車は1時間後。進退窮まってしまった。もうスケジュール上の弘前駅からの乗車列車の発車時刻も過ぎてしまった。

余談だがこの弘南大鰐駅から延びる弘南鉄道線は「中央弘前駅」行きで、JR弘前駅との共用構内を持つのは黒石方面への別の路線であることに、後で路線図を見て気付いた。尚のこと乗換えてみればよかったのだ。もちろんそのことでさらなるトラブルも起こりえたのであろうが。
大館、白沢で遅れを出したものの、後は快調に進む。しかし大鰐温泉でついに立往生。
大鰐温泉駅併設す弘南鉄道大鰐線始端の大鰐駅。列車が到着し、折り返し出発していった。
   
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