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尾盛駅訪問記 〜人の残滓とにこやか車掌さん〜 その2

さて列車は千頭駅を定刻9時に発車。乗客は自分を含め3名である。
千頭を出ると車両基地のある川根両国に着く。ここを過ぎると大井川沿いの細かなトンネルも増え、山間へ分け入る雰囲気が強くなる。
森林鉄道の分岐していた沢間を過ぎ、そして土本では数軒の人家が見える。車掌氏がホームの待合室に新聞を置いた。井川線の生活線としての一面であり、道路事情も悪く人家もまれな地区への「新聞配達」も担っているのだ。土本へは道路が達して年が浅く、またその道路もしばらく路線に並走し、人家が切れると途絶えた。
寸又峡の入口となる奥泉駅には周囲にちょっとした集落がある。ここで寸又峡温泉からと思しき団体が乗り込み、車内は若干賑わいが出た。
そして列車はアプトいちしろに到着。アプトいちしろから長島ダム建設にともなう新線区間となる。そこには90‰という日本の鉄道最急勾配が介在するため、勾配を上りきる長島ダム駅までは電化され、現役本邦唯一のアプト式ラックレールを利用した電気機関車が補機として連結される。アプトいちしろは現在ではほぼその補機の連結解放のためだけにあるような駅となっており、乗客たちもわらわらと列車を降り、補機の連結風景を見守っている。
アプトいちしろを出ると補機に押されて列車はぐんぐん急勾配を上る。アナウンスが入り眼下には旧線跡があることが説明され、一部その痕跡を確認することができる。トンネルを抜けると長島ダムの巨大な堰堤が見えてきた。ダムを巻くように長島ダム駅に到着すると補機を解放する。そして長島ダムで堰き止められた大きなダム湖を渡ると井川線新線のハイライトの一つ、奥大井湖上駅である。ここでツアー客の一団が下車していった。
大井川の支流を渡る列車。沢間付近にて。
アプトいちしろ駅での電気機関車補機の連結シーン。
アプト区間を行く列車。真ん中にラックレールがあります。
最大90‰の超急勾配区間。最後尾に客車より二回りは大きな電気機関車が連結され、列車を押し上げます。
奥大井湖を渡る列車。あの橋の対岸が半島状に突き出した地形で、奥大井湖上駅があります。
奥泉から乗車し、奥大井湖上駅で降りた一団。妙に皆ハイテンションでした。
次は立ち寄り温泉を併設し、交換設備もある接岨峡温泉駅。そしてその次はついに尾盛駅である。
尾盛到着前ににこやかな車掌氏が近づいてくると、下車後あまり駅から離れないように、と注意してきた。「外界」へ通じる道がないので、山へ分け入って方向を失い遭難する人が少なからずいるそうである。
10時16分尾盛駅到着。
「ではお気をつけて」と車掌氏に見送られ、降りたのは自分ひとり。と思ったら、大井川鉄道の保線員か中部電力の作業員か、1名下車した。
列車は下り方閑蔵方向へ発車し、カーブした切通しの向こうに消えていった。下車した作業員も、声をかける暇もなく、さっさと反対の上り方接岨峡温泉方向へ路盤をたどり歩いて行った。
ぽつん。
まさにその一語に尽きるような感覚に囚われる。飯田線の小和田駅や田本駅、土讃線の坪尻駅などで味わったものとは、少し異質の孤立感、孤独感。なぜだろう。
おそらく閉塞空間であるにも関わらず、空間としての景色が大きく、また実際に動ける範囲も広いからではないだろうか。尾盛駅発は11時31分。75分をここで過ごすことになる。
尾盛駅到着。終点井川へ向け発車していく列車。
自分と一緒に尾盛に降り立った作業員。が、さっさと「仕事」へ。
さて改めて構内を見渡してみる。まず立派なホームが1面ある。しかしこのホームは井川線としては高く、現在の車両には合わないため、既に接するレールはない。
先ほど降り立った「現ホーム」は、その廃ホームに対面した位置にあり、木枠(廃枕木)で囲んだ小さな砂利敷きのホーム。言い方は悪いが細長い、大きな「猫のトイレ」のようである。尾盛駅構内の写真は事前にインターネットなどで見ていたが、このホームの存在は気付かなかった。そのくらいの存在感のなさである。
廃ホーム上には小屋が一つ。そして狸の置物がならび、脇に井川線の宣伝看板がある。
「車窓直下に奥大井接阻峡」
次の閑蔵駅との間にある、民鉄最高比高の関の沢橋梁の宣伝のようだ。ここでこれを言われも、とは思うが、これは車内から、乗客の気分を盛り上げるために設置したものであろう。文字も大きく、色使いも派手だ。少なくとも下車客のための「駅の周辺案内板」ではない。もっとも周辺に案内するものもないのだが。しかし実はこの地、接岨峡温泉駅より接岨峡温泉に近いのである。が、間に大井川が流れるし、如何せんこの駅自体に道が通じていない。
ホームの小屋は待合室かと思ったら施錠されていた。単なる倉庫のようだ。この訪問後、近年この駅周辺に熊の目撃情報が頻発し、「避難用」にこの小屋を開放するようになったらしい。確かにこの廃ホームには路線開業30周年植樹の並木があるのだが、何か動物が食んだか爪を研いだか、その多くが生皮を剥がれたように幹がむき出しになっていた。
待合所は倉庫の側面にあった。ちょっと軒下を開放したという程度のもので、熊か何かが来ても全く避難所にはならない。待合所の正面には石で囲んだ小さな池か手洗いの跡があり、モリアオガエルの卵が泡を吹いていた。(あとで戻った時に気付いたが、待合所の窓の隅にその「親」が身じろぎもせずに張り付いており、ギョッとした。)
あとホームにあるものと言えば、興ざめのものではあるが、電柱がある。電信用のようだ。今思えば電源はあったのだろうか。照明のようなものは何もなかったように思う。まぁ日の短い時期でも日没後の列車はないので問題ないのだろう。
ホームは裏手の山と一続きであるが、一応中部電力による敷地境界標もあった。ここを越えると国有林なのだろう。沢間から営林署の大規模な林鉄が分岐していた山々なのだ。
構内にある立派なホーム。接するレールは最早ありません。
派手な井川線宣伝看板。
ホーム上の小屋。左側がオープンな待合所となります。
もともと手洗いだったのか、水場があり、モリアオガエルの卵がいくつもありました。
その / 2 /  / 4(おまけ)
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