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いつもは無人のこの駅もこの日は集札の駅員が多数。この駅にとっての晴れ舞台、参拝客でごった返す正月三が日を髣髴させるようです。 |
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この駅のホームは2段になっており、改札を出ると両脇の階段からホームの乗り場へ出ます。反対に出場はこの経路を避けるため、両側に集札口があります。 |
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一段下のホームの乗り場の様子。まだ列車到着まで時間があります。正面の公園から秋の木漏れ日がホームに届く、駅舎もホームも柔らかい雰囲気を持った駅です。 |
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本日用のファイナル・ラン看板。 |
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路線終端側、正面の公園には列車を待つ見物客が多数。わりとこのあたりは家族連れのスナップ派。玄人派は少し上り方の七ヶ用水の築堤に大量に陣取っていました。 |
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カーブの先に野町からの到着列車が姿を現しました。 |
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狭いホームがごった返します。 |
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ラストラン用のヘッドマーク。ステッカーですね。 |
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一眼レフのような本格カメラで、コンパクトカメラで、携帯で、皆思い思いにシャッターを切ります。 |
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路線終端側から。昭和期にこの反対側に延びていた金名線も最早遠い過去の記憶に。そしてこの光景もこの日で過去帖入りです。 |
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ちょっと覗いてみて、という程度に立寄った最終日の加賀一の宮駅でしたが、結局随分ととどまってしまいました。
もともと最終日はまぁいいやと思っていたのは、空いた休日にドライブがてらに手取川沿いから白山ろくなどへ行った際に、よく立寄っては似たような写真ばかり撮っていた駅だったから。
見尽くした感のあるこの駅も、それだけ気に入っていた駅だったことを改めて思い、やっぱり寂しくなりました。
北陸鉄道は地下鉄や路面電車のない石川県内の公共交通の雄。僅かなJRバスや小松バス、各地区のコミュニティバスなどを除いて大部分のバス路線を牛耳っています。一方で鉄道路線は最盛期は総延長100キロを越えていましたがモータリゼーションの波に押され、昭和43年には鉄道線の全廃を表明するに至りました。
それについては石川県や金沢市などからの要請から、石川総線(石川線、能美線、金名線)と浅野川線のみを存続、しかしその後も浅野川線内灘〜粟ヶ崎海岸間、石川線白菊町〜野町間、能美線全線、金名線全線とじりじりと廃止を繰り返してきました。
新車導入などの経営努力により平成3年には鉄道部門も黒字転換もしましたが、以降も少子化により通学客が減るなど苦戦は免れていません。そんな中での23年ぶりの廃線でした。
「バス以外はヤル気がないんだホクテツは」という声も聞かれますが、確かに自ら鶴来へ行くのに「電車を利用するか?」と問われると答えに窮する。「…初詣になら、渋滞するし…」と答えるのが関の山。
時代。でも、町の鉄道が見直されているのも時代。
自らも省みつつ、これからの北鉄にも期待したいと思います。
◇加賀一の宮駅の沿革
昭和2年 |
金名鉄道神社前駅として開業 |
昭和4年 |
鶴来駅にて金名鉄道に接続した金沢電気軌道へ売却、同年電化 |
昭和12年 |
現駅名に改称 |
昭和18年 |
金沢電気軌道、金名鉄道等7社の合併により発足した北陸鉄道の駅となる |
昭和59年 |
金名線休止 |
昭和62年 |
金名線廃止 |
平成21年 |
石川線鶴来〜加賀一の宮間、10月31日を最終営業日として、同年11月1日、廃止 |
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…そして翌日、11月1日 |
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道場のような大きな駅名板は外され、そして駅舎入口も、両サイドの集札口も閉じられており、この建物がもう駅ではなくなったことを告げていました。
昨日あれほど人のいたこの場所も閑散とし、2人、それぞれ別個に訪れたと思われる、本格的なカメラを持った男性と、コンパクトデジカメを持った女性が、色んな角度からこの駅、構内を黙々と撮影していました。
エンディングを飾った昨日とはうって変わっての、大雨の日でした。 |
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おわり |
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資料参照 「私鉄の廃線跡を歩くV」(JTBパブリッシング) 「日本のローカル私鉄」(ネコパブリッシング) |
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