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晴れのち曇りの北海道
〜後編:駅の宿ひらふ宿泊ルポ〜 その5

◇撤収

コテージに戻り、連れを起こし、状況を説明する。(ついでに靴の死亡も説明する(笑))
分かってはもらえたようだ。が、努めて平然と、冷静に話したつもりだったのに、このときの自分のせっぱつまった様子が可笑しかったと、後あとまで言われた。いやいやいやいや、今はそこじゃないだろう。

しばし仮眠し、5時過ぎに起きて出発の準備をする。靴下を重ね履きして、幾分乾いたスニーカーを履き、外に出た。不気味な曇天。未舗装のホームには昨晩の雨の水たまりができていた。保線の軌陸車がまた線路上を走り抜けていった。駅舎の軒下ではしま太郎が薪の上でとぐろを巻いて寝ていた。

5時20分、新千歳空港のフライト情報が入ってきた。今度は新千歳松本便が欠航になり、羽田便などにも欠航が出始めている。富山便、小松便については、今のところ飛ぶことになっているようだ。またJRでは上下の「トワイライトエクスプレス」「カシオペア」「北斗星」の運休が早々と決まった。

駅舎ではオーナーさんの奥さんが朝食の支度を始めたようだ。駅舎へ行き、事情を話し、申し訳ないが朝食をキャンセルして、すぐに空港へ向かう意向を伝える。キャンセルは本来できないが、まだ調理前で食材の多くは無駄にならなかったから、と朝食分の半額をバックしてくれた。

コテージ「のるて」、比羅夫のホーム、駅舎、しま太郎としばしの名残を惜しんで、そしてオーナーさん夫妻にお詫びとお礼を言って、複雑な気持ちで6時半、新千歳空港へ向けて出発した。
早朝の比羅夫駅。雨は上がったが、雲の厚い不気味な曇天。
長万部行き上り普通列車到着。朝のJR北海道は平常運行。
軒下で寝ていたしま太郎はまだ寝ぼけまなこ。
大あくび。
出がけに駅舎2階を覗かせてもらった。
客間のひとつ、和室。男女別の相部屋となる。
こちらは洋室、というか二段ベッド部屋。こちらも和室とは反対の、男女別相部屋。
洋室から見たホーム。このアングル、昔テレビで見たような…。

レンタカーを運転しながら、昨日の体調不良といい、今日の「撤収」といい、初北海道の連れには申し訳ない気がしていた。しかもただの初北海道ではない、学生時代友人と計画し、渡道目前に事情により断念したという、宿願の初北海道だったのだ。…あれ?

「そういや学生の頃、友達と北海道行きの計画立てたって言ってたよね?」

「うん。」

「それ、なんで中止になったんだっけ。」



「え?台風で飛行機が飛ばなかったから。」




笑ってしまった。土地との相性って意外にあるとは実感しているが、そうか、また呼び寄せたのか。思えば未明に目覚めてから、この時初めて笑ったかもしれない。


道中は、今度は連れのスマホがフル稼働。昼前の富山便は運航予定のまま。夕方の小松便の情報も、不気味なくらい動きがない。
そして7時台での富山便の空席状況は「△」。少し意外だったが、「残りわずか」ながら空席があることが分かった。一方で午後を中心に、羽田便や名古屋便などに欠航の文字が続々と増えていっていた。
そして9時前、新千歳空港に到着。

空港ロビーはまだ大混乱には至らない、「小混乱」状態。とは言ってもANAやJALカウンターには既にそれなりの長蛇の列ができていた。もちろんカウンターでの対応は、一人一人時間がかかっているようで、列は進まないまま順次「尻尾」が延びていった。

小松便のエアドゥカウンターは、それに比べまだ列が短く、またスタッフが並んでいる客に、順に意向を聞いている。順番待ちのままこちらの意向を伝えると、小松便は今のところ運航見込みだが、台風の影響はその時にならないと分からない。富山便の席はまだ空きがあり、今日については手数料のみでチケット変更可、とのことだった。

天候そのままに、ラッキー続きの序盤から次第に暗転していったこの旅の、最後の力を振り絞ったようなラッキーだった。

一応の帰結が見えたので、乗換手続きは連れに任せ、自分は南千歳駅に近いレンタカー屋へ車を返しに行く。そして搭乗までのわずかな時間に、北海道の最後の名残を貪欲に楽しむ。
最早大混乱の域に達しているロビーを横目にお土産を攫え、札幌ラーメンを文字通りかき込んで、結局駆け足の搭乗となった。

富山空港へは定刻の12時55分到着。狐につままれたような気持ちで、予定よりも半日早い北陸の人となる。尻切れトンボのような印象は拭えない、北海道旅行はこれにて終了した。
撤収途中で見た羊蹄山。雲で秀麗な全容は望めず。
混乱する新千歳空港ANAカウンター。
JALはまだ欠航が少ないようだが、名古屋便が欠航となっている。
搭乗間際にさらえ込んだ札幌ラーメン。時間がなく流し込むように食べたので「味がしなかった」と、連れが随分こぼしていた。
エアドゥ新千歳富山便。11時20分、離陸予定。
そしてJR富山駅。左に見えるサンダーバードは到着後の回送待ち。その前の上りしらさぎは「金沢止まり」で出発していった。
帰った金沢駅では午後の全方面への特急全列車の運休が案内されていた。
夕方小松空港に着く予定が、なぜか午後の金沢駅へ帰還。雨は降っていたが、風はまだ強くはなかった。

◇むすび


最後にちょっと余談を。
ちなみにこの日の小松便は、結論から言えば、無事に小松空港へ到着した。昼前には「引き返す可能性あり」での搭乗手続きとなり、10分遅れの離陸、20分遅れの着陸だったらしい。
また北陸地区では、JRの普通列車は運行していたが、少なくとも午後の大阪、名古屋、東京(越後湯沢)、新潟の、全方面への特急列車が全て運休となっていた。
多分小松便に賭けて、こんな情報を横目に北海道に残っていたとしても、楽しめるはずもない。残念感は否めないが、この撤収については一応取りうる最善策を取ったと思っている。



さて、今回の旅行記の主舞台となった「トワイライトエクスプレス」と「駅の宿ひらふ」だが、こんなホームページを開設していながら、両者とも、多分自分一人では縁がなかったと思う。

まず、旅の序盤の満足度をMAXに引き上げてくれた北広島支所長に、末筆ながら改めてお礼を言いたいと思います。有難うございました。

そして、連れにも。
自分は一人では移動に付加価値を求めない。考慮する要素は「時間」と「費用」と、続いて幾ばくかの「労力」のみ。「楽しむ」ことは含んでこなかった。だから、これまでも、旅行の際に「イベント列車を」という選択は、一人ではまず経験しなかったと思う。が、結局今となって振り返るとそれなりに乗ってきたし、それはそれでもちろん楽しかった。発車時刻の制約があった「トワイライトエクスプレス」はその最たるものだ。

それから宿泊についてもやはり、寝床があればよいという程度。各地の温泉も元来の性分的に、そして「駅の宿ひらふ」も多分きっかけが掴めずに、やっぱり経験することはなかっただろうと思う。

だから、今更ながら、「トワイライトエクスプレス」を、「駅の宿ひらふ」を、プッシュしてくれて有難う。旅先の間抜けな体調不良を気遣ってくれて有難う。途中撤収を了承してくれて有難う。そして、北海道旅行に嵐を呼び込んでくれてどうもありが、…うそですゴメンナサイ。
おわり
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