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令和6年の雑感(サイトの現況など)

◇ひとりごとのコーナーについて 〜9年ぶりの更新です〜
久しぶりにこのコーナーを書いてみました。今見ると前回は平成27年のなので、実に9年ぶりの更新となります。ここのところ自身の周辺では大きな出来事もありましたし、そうしたものを踏まえて今回久々に発信してみようと考えた次第です。

今更ですが、このコーナーは、このサイト立ち上げ時にお世話になった方々から裏話のリクエストがあったのでつくったコーナーでした。その頃(平成16年)はミクシィとかブログとか私設掲示板が流行っていたかと思います。
自分自身がそういったブログなどの世界に入り込んでいくことはちょっと考えられなかったのですが、ブログに準じ、不定期でも何かを発信できるコーナーになればいいかなと、そしてあとはこのサイトの取説みたいな内容をお伝えできたらいいかなと、そんな思いから立ち上げたコーナーでした。

なので今回の更新は一応コーナーの主旨に則ったものではあり、自らを発信する場としてこのコーナーを設けた一方で、やっぱり自分にはその主旨はそぐわなかったんだろうなと痛感しています。そもそも9年ぶりなんですから、ブログだったらとんでもないことです。
そしてやっぱり現在でもフェイスブックやインスタグラム、X(ツイッター)などは馴染む気がせず、手を出していません。

◇管理人とサイトの現況 〜新規公開の情報が古くてすみません〜
さて、このサイト「鉄道雑学研究所北陸支所」は、今はweb上にない「鉄道雑学研究所-苦行.net-」から派生したサイトなのですが、その管理人さん(このサイトでは「所長」とお呼びしておりますが)は「鉄道雑学研究所-苦行.net-」を閉める際に「生活環境の変化により」とその理由を言われていました。

所長のその環境変化が何かは知りませんが、自分個人については妻子ある身となると、特に子がいると、ここ10年ほどは自分の一人で自由に出来る時間が中々取れず、どころか一時期は全くなくなりました。(嫁さんはもっとだと思います。本当にいつも感謝しております。)
一度休日の何かの隙間時間に40分空いた時、「あれ、今自由だ、何してもいいんだ。嬉しい!」となったことをよく覚えており、そんな状況です。好き勝手に全国を飛び回っていた頃には考えられないことでした。金も同じで、そういうことに使える金と時間がなくなっております。
自分が特別とは考えていません。どこの家庭も同じことだと思いますし、もちろんかつてとは違う生活の楽しみがあるので悲観的な話では全くありません。

ただ、ことこのサイトに関しては、駅舎紹介がメインですので、以前はライフワークとして未訪問の駅を求めて全国駆け回ったり、訪問後の駅についても駅舎更新の情報があると、「再取材」に現地に飛んでいたものですが、何しろ地元の金沢駅に行くこともままならない状況なので、サイトに不可欠な2つのアクションである「ネタ収集(取材)」が完全に止まり、「ページ作成」が覚束なくなっているという状況です。
「ページ作成」については、「取材」が出来ないエネルギーがそちらに向いたこともありますが、実は作成の時間をつくり出すことの困難さはもとより、フレッシュな「取材」の体験がないとページ作成の際に言葉が出てこず(表現が難しいですが、フレッシュな体験があると、別の場所の古い「取材」であっても現地のニオイがスッと蘇るんです)、結果的に作成意欲が次第に減退していく、というのが実情だったりします。
だから自分の有りようであって、環境のせいばかりでもありません。北広島支所長にはいつも感服しております。

そしてその結果、よれよれで更新したページ内容の鮮度が、これまで以上に古いことになっています。新規作成したページの駅舎が既に改築済みなんて例もちょいちょい発生しています。
さらに駅舎以上に現地の更新頻度の早い、待合室や売店などの施設、列車案内板や券売機、改札機などの設備、ベンチなどの備品、ポスターなどの掲示物などは、新たに公開しても既に現地は変わっている可能性が大いにあることは感じています。

一応ストックされている画像はそれなりに吐き出そうと考えてはおります。その結果新規更新の画像でも、「これもうないよ」というものも多分にあるかと思います。自分としては「NEW」の文字さえ消えれば記録の一つとなっていくからと、割り切って公開していこうと考えております。情報の古さは悪しからずご承知おき願います。

正直言ってこれが今回言いたかったことの大きな一つです。前述の通り悲観的な事情ではないので、言い訳のつもりではありません、単にお知らせです。でも私設サイトのミクロな世界ではありますが、万が一この情報により混乱を来す方がいらっしゃる可能性を考えると、お詫びはあらかじめしておきます、情報は古いです、ゴメンナサイ。

◇空白の令和5年度 〜コロナ・震災・新幹線のこと〜
さて、このコーナーを9年ぶりに更新しようと思ったのは、先だって更新停滞が、初めて暦年で1年を超えてしまったからということが一番のきっかけでした。更新履歴から令和5年(5年度)が初めて完全に飛びました。その1年の間に大きな出来事が3つあったので、それについて触れたいと思います。

【1つ目 令和5年5月 新型コロナウイルス感染症の5類感染症移行】
未知の感染症が広がるとこうなるんだなあと振り返って思いますが、新型コロナウイルス感染症が2類感染症分類であった3年間、外出・移動自粛の結果、個人的には北陸三県から出ることは全くなく、それどころか石川県内でも、金沢近辺から出たのは多分2、3回でした。「取材」についてもし生活環境が許していたら、どれだけ悶々としていただろうかとは思います。
外でもマスクをしていない人は本気で白い目で見られた環境の中、自分自身も外出や、外出しても人混みは避けるという生活だったので、人の集まる「駅」はむしろ遠ざけていました。

これが季節性インフルエンザ同等の扱いとなって自粛は次第に解除され、最近金沢市内は再び外国人を含め観光客が溢れだすようになってきました。外的要因は緩和され、自身の生活的な要請も子たちがそれなりの歳になってくると、一時期に比べ一人での移動の制限が緩和されつつあります。
子に「鉄」系の興味を薦める気はないので、県外移動があってもおおよそ家族旅行でしょうから「取材」は出来ませんが、一日以内なら一人で動ける日も出来つつあるので、新型コロナが5類となった現在、眠っている古いストック画像の「現地のニオイを蘇らせる」旅も、少しはできるようになるかも知れません。

【2つ目 令和6年1月 能登半島地震】
元日の夕方だったので家にいたのですが、これまで経験したことのない揺れでした。奥能登地区に比べるべくもないですが、実は金沢市も被災地認定されていて、震度5強でしたので被害は皆無ではありません。隣の内灘町などは地区により液状化で奥能登並の大変な被害が出ています。そして能登半島の惨状はご存じところだと思います。

個人的に、震災前、のと鉄道廃止前は「身近な遠方取材地」の一つとして、よく穴水以北の奥能登地区へ出かけていました。
のと鉄道廃止後、珠洲市では平成29年から、「奥能登国際芸術祭」というイベントを秋に行なっており、次第に定着して観光客も増えていたようでした。自分も一度見に行きたいと思っていて、昨年は家族で行こうかというところまでいきましたが計画倒れとなっていました。(昨年イカの駅いかつくもーる(旧能登線九十九湾小木駅跡近く)の「イカキング」は見てきましたが笑)

コロナ補助金で物議を醸し、イギリスBBCでも報道されたという「イカキング」。個人的には地域への経済効果から、よい活用法と思っていますが。

しかし震災後は、邪魔になってはよくないだろうという思いもあって、実はまだ能登地区を訪れていません。
仕事で被災地支援に多少携わったことと、義援金やふるさと納税での寄付、クラウドファンディングでの寄付をしたこと程度で、同県内人だからこそということは、恥ずかしながら何も出来ていません。

奥能登地区は平成19年にも震度6の地震を経験しています。その地区に、しかも元日という特殊な日に、未曾有の震度7の災害が起きたわけです。現在県内のニュースや新聞では、地元自治体、消防、自衛隊、警察等の活動や、二次的に起きている問題、今回地震の構造上転居やむなしと決断する人、やっぱり能登が好きだからと避難先から地元へ戻る人など、被災地の現状が日々取り上げられています。
今回このコーナーでこの話題を取り上げたのは、もちろん直近の身近な大事件であったためですが、それ以上に伝えたかったのは、能登地区に実家がある人たちなどが実家の手伝いに行き、戻ってくると必ず口々に言っている言葉です。
「1月の状態となんも変わってないよ」。
この情報、石川県以外の方はどこまでご存じでしょうか。被害が局地的な地震だったため、他県では取り扱うニュースもあまりなくなってきているのではないでしょうか。

今webに乗せるホームページというツールのある自分にとって、大したことはしていませんが、そして能登地区の復興のあり方は議論のあるところなのでしょうが、ただ自県内が少なくともまだまだ適切な支援が必要である状況を、せめてこのサイトを覗いてくれた方たちにお伝えできたらと考え、取り上げてみた次第です。

このホームページ管理人として自分自身が出来ることは、結局東日本大震災の時と同じで、現地での画像、取材した内容を世に出すことくらいだろうと。ホームページ管理人としてはこんな程度しか出来ませんが、公開している震災前の画像が少しでも地元の方の心の拠りどころになってくれると、こんなに嬉しいことはありません。
そして奥能登地区で被災された皆様には生活と心の平穏が一日でも早く訪れることを祈って、深くお見舞い申し上げます。
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