▲鉄道雑学研究所北陸支所トップへ  ▲廃線・廃駅INDEXへ

信越本線の廃線跡(米山〜笠島) その1

信越本線は柿崎駅から鯨波駅にかけて海岸線を走り、その間にある米山、笠島、青海川の各駅はホームから一面に海が望める眺望の良い駅です。この区間は昭和42年から44年にかけて複線化されていますが、その際大幅にルートを変えており、単線時代の旧線跡が現在でも残っています。その大部分は遊歩道として気軽に体験できるように整備されています。
これは平成21年9月にその現状を自転車で走ってきた記録です、…と言いたいところだったのですが、根本的な見込み違いを含んでしまいました。


信越本線米山駅。海沿いの集落の中の駅で、隣の柿崎駅付近から路線は海沿いを走っています。この駅自体も構内が海岸線に面しています。ここから画像奥の下り方向へ進んでみます。
線路に沿って集落内を進みます。道路はほどなく通常の1車線道路から軽自動車がギリギリといった幅員に変わります。正面に見える丘陵は左側が海に突き出た岬となっており、その突端には米山崎灯台があります。「聖ヶ鼻」という地形です。現路線はこの聖ヶ鼻を複線トンネルで貫いていますが、まずここに単線時代のトンネルが残っています。
線路沿いの小路は一旦途切れ、1本山側を並行してきた集落内の道路に戻されてしまいました。集落は瓦屋根の古く大きな民家が多く、個人的にとても好きな雰囲気のある集落です。左の画像は米山駅方向を振り向いて撮影。海は右手側にあります。
この集落は「鉢崎(はっさき)」という関所のあった集落で、奥州筋への宿場だったようです。米山駅も開業時は鉢崎という駅名でした。
聖ヶ鼻の付け根の坂を上り、現トンネルポータル上へ。海岸線に沿っていた複線の線路が内陸側にカーブを切って、足元のトンネルへ突入しています。
しかしカーブの海側にも空き地があり、架線柱も立てられています。レールや枕木はありませんが、これが旧線跡の路盤です。
現路線を越えて再び坂を下り、旧路盤へ下り立つ。海岸線沿いから山側へカーブを切る現役線と、その海側の路盤との分岐点付近。
この路盤跡は単線時代のものなので、残されている架線柱は明らかにおかしい。どう見ても複線用。いやそれ以前にこの辺りの電化は複線化の2年後なので、旧線は非電化だったはず。路盤跡を利用した電化後の留置線があったのではないでしょうか。
上の画像から下り方向を振り返ったのが左の画像。
現在はこの辺り海水浴場へのルートや一部駐車帯に活用されており、片隅にはトイレもあります。

右のトンネルが複線の現役線、第1米山トンネル。画像左端に断面の小さなトンネルが見えています。あれが非電化単線時代の旧米山第1トンネルです。…って、あれ?
ふっ、塞がれている…!

つくったような話ですが、こうやって写真を撮りながら、接近して気付くという、冗談抜きでこんな状況でした。
遊歩道として活用されているはずで、手前に歩行者軽車両用の標識があります。最初何か改修工事でもしているのかとも思いましたが、ここでやっと、アッと思い至ったのが、この2年前に発生した中越沖地震。
この地震では柏崎市市街部から沿岸部が被害を受けており、青海川駅などは構内の土砂崩れが原因で駅舎は解体、ホームも大幅改修されています。

ただし実際にはさらに以前の平成17年にこのトンネルの向う側で土砂崩れが発生し、既に通行止めになっていたとのこと。
左の画像はこの6年前の平成15年11月のもの。この時に通っておくんだった…。

左下は遊歩道の案内板。中央の赤いラインが廃線跡の遊歩道で現在地は赤ラインの一番左端、聖ヶ鼻のふもと。赤ラインは隣の笠島駅まで続いています。

石積みのトンネルポータルには何の文字情報もありませんでしたが、脇の擁壁には竣工年が書かれていました。昭和35年竣工。複線トンネル開通、ルート変更が昭和42年なので、その7年前ということに。ここだけ擁壁があるということは小さな土砂崩れでもあったのでしょうか。

とにかく、仕方がないのでいきなりここで撤収…。
その1 /  /  /   へ
▲鉄道雑学研究所北陸支所トップへ  ▲廃線・廃駅INDEXへ