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いろはトンネルをめぐる旅 その1

「色は匂えど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ 有為の奥山今日越えて 浅き夢見し酔いもせず」
仮名48を過不足なく用いて世の無常を詠った「いろは唄」です。これをしげしげ眺めて、改めてこの完成度に嘆息してしまうわけですが、とりあえずそれはさておき、無常と言えば、のと鉄道能登線穴水〜蛸島間が平成17年3月をもって廃止となることが決定しています。
ちょっとその前の様子を見に、しかしせっかくだから何か「取材」するものはないものか。そうだと思いついたのが、冒頭の「いろは唄」、能登線の「いろはトンネル」のこと。これを全てカメラに収めてみようと、暮れも差し迫った12月半ば、行ってまいりました。

まず能登線の「いろはトンネル」とは何か。
能登線には小さなトンネルが全部で49個あり、その一つ一つに「い」「ろ」「は」の順に一文字ずつ仮名が振られている。まぁ日光の「いろは坂」みたいなもの。上の画像のようにトンネルの壁面に小さく仮名が振られてる。
ただ「いろは」の数え唄は、「ん」を併せ、現代語より「ゐ」「ゑ」の二文字が多いとは言え、全48文字。その49個目のトンネルは珠洲駅の手前にあるトンネルで、どんな仮名が振られているかというと、それは「すず」。珠洲駅がいろは順では最後に来る駅、ということでこの趣向が生まれたのだろう。
思えば鈴鹿駅や雀宮駅、現在となっては中央本線にすずらんの里駅だってあるのだけれども。まぁ語呂の問題なのか。

さて、まずは七尾駅初発の穴水行きからスタート。
のと鉄道沿線からは早朝の流動はこの七尾、さらには金沢を志向するため下り列車の初発はわりに遅い。7時8分発である(ちなみに穴水始発の下りはもっと早い)。
使用する切符は「のと一日のんびりきっぷ」。のと鉄道のフリー切符で、1,700円、土日祝日に使用できる。これでとりあえず終点の蛸島へ向かうことにする。正直言って、計画は立てていない。しかし列車本数は極めて少ないので、道中旅程を考える時間は必要以上にある。日が暮れたら戻ればよい、程度のお気楽な旅である。
のと鉄道のフリー切符「のと1日のんびりきっぷ」。土日祝限定で、「とりあえず」平成17年3月末までは販売される。
車窓には朝日きらめく七尾湾。真ん中に見えるのは「ぼら待ち櫓」の模型。能登鹿島駅付近にて。
いきなり穴水駅で1時間の待ち時間ができる。この先がいよいよ能登線。現在ののと鉄道運行エリアは1本の鉄路であるが、当初は穴水駅は中間の分岐駅で、七尾線がさらに北の輪島まで延びていた。東へ延びる能登線はその支線であったのだが、平成13年に七尾線の穴水以北が廃止され、結果七尾線と能登線はあたかも1本の路線のようになっているのである。
しかし来春にはその能登線も廃止され、この穴水駅が能登半島の鉄路の最深部となってしまう。

「お客さんどちらから?荷物少ないですね。」
これから乗車する列車に乗務する運転士がニコニコしながら声を掛けてきた。のと鉄道の職員は、能登という土地柄もあろうか、総じて物腰が柔らかい。…しかし、荷物が少ない?
「…?、ああ、金沢から。」
「じゃあ近いですね、最近は大荷物を抱えたお客さんが多いんですよ。」

どうやら廃止が迫ったこの路線に、廃止が迫っているが故に訪れる「鉄」な人が増えているようだ。大荷物、ということはそれなりに遠方から訪れる人が多いのだろう。さらに時間的距離から言えば、穴水以北の奥能登地区は大概の場所からは「それなりの遠方」となってしまう。この路線の位置づけをしみじみと考えてしまった。

さて穴水から乗った列車には、運転士の言ったとおり、「それらしき」人々がちらほら見られる。その他は観光客、地元のお客、日曜だが制服を着た高校生と、顔ぶれは様々だが、裏を返せばそれなりの乗車率があるわけだ。
穴水で1時間時間を潰してから蛸島行きに乗換え。「蛸島」の方向幕を見られるのもあとわずか。行き止まり駅となると、広い構内も持て余すことになるのか。
穴水から乗車した車内。早朝であったがわりに人は乗っていた。ワンマンカーなので前の車両(画面奥)の方が混んでいる。
さあ、いろはトンネルであるが、穴水を出るといきなりトンネル区間に差し掛かる。能登線は沿海路線ではあるが、内浦と呼ばれる七尾湾北岸には砂浜はなく、丘陵がそのまま海岸線を成すため、トンネルは多い。それも概して短い。まぁこれがいろはトンネルたる所以なのだが。

で、そのトンネルの撮影であるが、これが意外と難しいことが分かった。
のと鉄道の車両は運転士横が開放されている上に、時節柄(?)車内でカメラを持っている人も多いので、自然に場所は確保できたのだが、前方の突入するトンネルを捉えるにはピントが合わせづらい。後方から出たトンネルを狙うとAEが間に合わず、露出が合わない。もともと銀塩カメラでは古いMFを使用していたため、AF、AEのデジカメに慣れることのできない辛さである。

さらに側光であると前面ガラスに室内が写り込むし、逆光であるとガラスの汚れが浮かび上がり、そこにピントが合ってしまう。さらに当然ながら、揺れる。
試行錯誤を繰り返し、後方にいて、トンネル突入を察知して事前にシャッターを半押しにする。トンネルを出るまでそのままの状態で待ち、トンネルを出たらピントの合う地点を通過する際にシャッターを切る、というやり方が一番成功率が高そうだと分かった。AFロックのやり方が分かっていればこんな原始的な方法はとらずともよいのだが(笑)。

列車は沿線の車窓のハイライト、矢波付近を越え、中間主要駅宇出津に到着。ここで通学客や買い物客の多くは降りてしまった。
この辺り、中距離、特に下り方面への流動は希薄のようで、朝の下り列車などは特に、市町中心駅である宇出津、松波、飯田・珠洲の前後で客が入れ替わるようだ。穴水や宇出津近辺の利用者が珠洲を訪れたことがないなどという人の声もちらほら聞いた。越市町の流動はこの時間帯は上り列車が主体となるようだ。
甲駅構内からは、駅のヌシ、郵便車が消えていた。
海沿いの駅、波並駅に到着。
いろはトンネルはというと、宇出津到達時点で、「か」まで。まだ4分の1程度であるが、宇出津を出てしばらくが、いろはトンネルでいうハイライト区間。短いトンネルを出ては入りを繰り返す。「よ」「た」「れ」「そ」…、とまさに「数え唄」の状態である。本来トンネルの合間に顔を覗かせる海に目を奪われるところ、一人正面を注視する。

無人地帯の駅白丸、集落と田園の狭間の築堤にある九里川尻、内浦町の中心松波、観光地恋路と過ぎると珠洲市域に入り、南黒丸付近からはようやく平地に出る。後は淡々とした区間となるが、トンネルはあと3つある。

上戸駅の手前で47個目「す」のトンネルを越えると、珠洲市街地も近い。
珠洲市の中心に位置する飯田駅だが、雰囲気は殆ど山の中である。次の珠洲駅との間にまだ2つトンネルがあるのだから、鉄道で訪れる珠洲市は海というより山の街である。
飯田駅を出てすぐ48個目「ん」、そしてラスト49個目、言わば“オチ”である「すず」のトンネルを越え、まもなく珠洲駅に滑り込んだ。

珠洲駅からは運行管理方法も変わり、スタフ閉塞となる。そのためか停車時間は長い。ホームへ出て一休み。一応「いろはトンネル」は全て収めたが随分と失敗してしまった。復路に賭けることにする。構内の車庫には2年前の春に定期運用が停止されたのと鉄道の「虎の子」パノラマカーが休んでいた。
49個目「すず」の珠洲トンネル。
珠洲駅の車庫に、久々に見るNT800パノラマカーがいた。
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