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ある日の浜通り その1

平成23年3月11日に発生した東日本大震災により鉄道も大きな被害を受け、1年半以上を経過する現在においても、特に津波被害の大きかった箇所はいまだ具体的な復旧の目途は立っていません。こうした物理的破壊とともに、化学的な破壊により深刻なダメージを受けている路線があります。

言うまでもなく、東京電力福島第一原子力発電所の事故のため、一部が立ち入り禁止域に入っている常磐線北部です。その常磐線北部区間へは震災の半年前に「駅取材」に行っており、当初よりその記録はいつか「普通の旅行記」として、このコーナーに書いてみようかなと思っていました。

当サイトの更新の遅さとその後の震災の発生により、過去のものとなってしまった光景、手の届かないものになってしまっている光景も含んでしまうことになってしまいましたが、自分の体験した当時の日常を、「普通の旅行記」として、ここに記したいと思います。

平成22年夏、2日分残った青春18キップの期限が迫っていた。基本的に18キップは「駅取材」に使用しているが、この頃になると未取材の「取材対象」は北海道や九州、四国などの僻遠地と、苦手な大都市圏が主になっていた。

そこで以前立てた計画のうち、比較的アクセスが容易な仙台を中心とした計画、東北本線、仙石線、石巻線、陸羽東線に点在する未取材・再取材駅を巡る行程を実行しようと考えた。
ただし「未取材」の多くは列車頻度の高い仙石線で、後は駅舎改築などのための「拾い直し」のようなもの。駅数もそう多くはなく、これは夜行バスを利用した「一日行程」で、一日目午後には完了してしまう。

以降はどうしようかと路線図を眺めると、仙台地区に「手つかず」の幹線が残っていた。常磐線である。常磐線沿線は実は南部を少し乗ったことがあるのみで、茨城県北部や福島県浜通りは訪問歴自体が全くなかったためか、何故か発想の外にあった。

そう言えば原ノ町駅には立派な木造駅舎があるはずであり、それを直に見てみたい。木造駅舎は思い立った時に行っておかないと、いつ改築の憂き目にあうかは分かったものではない。
この長大線、「つまみ食い」のような行程で完了できるはずもないが、取りあえず原ノ町、できればいわき辺りから以北を済ませてしまおうと決めた。
というわけで東北取材毎度おなじみの夜行バス仙台金沢便で早朝に仙台入り。予定通り支線群の「拾い直し」を済ませ、14時過ぎに仙台駅に戻った。

ここからは未踏の常磐線へ向かう。そして、ここからは予定を全く立てていない。岩沼側から南下しながら日没を睨みつつ取材を進め、「あまり進まなかったら」原ノ町に、「ある程度進めたら」いわきに宿を取ろうと考えた。
あまりに感覚的に過ぎるが、仙台通勤圏の列車本数の多い下校時間帯、秋分前のまだ日の長い季節、そして晴天ということで、結果としてはその日は「ある程度進めた」と判断できた。
照度の撮影限界を迎えたのは相馬駅であった。
初っ端の逢隈駅は列車交換の停車時間を利用して「取材」。
暑いながらも空に秋近しを感じさせた坂元駅。

この間、この半年後に被災し駅舎が全壊してしまう新地駅、坂元駅も訪問している。坂元駅は「丸ポストと木造駅舎」の、取り合わせの素朴な駅としてよく耳にしていた駅だが、新地駅はおそらく現地にて初めて聞き及んだ駅名だった。
乗っていた列車では比較的乗降数が多く、町の中心駅らしさは垣間見たが、海に近い駅という空気は現地ではそれほど感じていなかった。

震災直後、次第に明らかになる被災状況の中で、殆ど更地になってしまった駅の空撮を見た。平野部らしく真っ直ぐ延びる線路上に、ひしゃげた跨線橋と、傍らにひっくり返った近郊型電車が映されていた。
報道当初こそどこの駅かは分からなかったが、しばらく後のアナウンサーの「これは新地駅です」の声に衝撃を受けた。各地の被害状況が明らかになりつつある頃の、初めて知らされた具体的な鉄道施設の被害だった。

訪れたばかりの地のあまりの変状に呆然としたが、訪問当時は駅前の背の低い町並みの隙間から差す夕方の斜光線が、駅裏の、黄色く色づき始めた広い田園地帯を照らす、ちょっとノスタルジックで長閑な空気にあふれていた。
夕日の斜光線が強くなってきた新地駅。
そして日が落ちた相馬駅。

さて翌日、いわきの駅近くのビジネスホテルを早朝5時半に出発。地元北陸よりも東に来たこと以前に、まだ「夏のつづき」といった時節、人の往来は少ないが、既に昼のように明るかった。

昨日は日立木駅から相馬駅へ戻ったところで日が暮れたので、今日は原ノ町駅の一つ北、鹿島駅まで行けば、路線終点の岩沼駅までが繋がる。昨晩ビジホで立てた予定では、ここいわきを南端に北上するのが限界だった。何とか南端を高萩か勿来まで持っていこうと奮闘したメモ書きも残っているが、いわき以南は列車本数もまあまああるので次の機会としよう。

時刻表を見ていると、人の流動もよく見える。この辺りで普通列車の始発が多いのは、いわきと原ノ町だが、いわきからは以南の関東方面を、原ノ町からは以北の仙台方面を指向するらしい。いわき以南に県境があるのに、いわきと原ノ町の間が流動の境界となり、どうやら運行の疎な区間となるようだ。もろに今日の行程に重なるが、そのため各駅の滞在時間は30〜45分の箇所が多く、「駅巡り」としてはやや長い。

いわき市は東北地方では仙台市に次いで人口が多い。なんでも東北地方の中では雪も少なく、平均気温も高いため、過ごしやすいらしい。人口が多いのは昭和期の市町村合併によるもので、全国の平成の大合併前は最大面積の市であった。そしてそのため今も中心地区が分散している。
いわき駅は東北第二規模の都市の代表駅だが、ここ旧平地区に全市街部が集中している訳ではなく、だからという訳でもないが、背後に小山が迫り、ちょっと野暮ったい。

いわき駅は真新しい橋上駅舎で、朝日を受けている様は、昨晩到着したときより一層新しく見える。この駅舎は訪問前年の夏に竣工したもので、ペディストリアンデッキに繋がる橋上広場についてはこの春できたばかり。駅舎正面の青いラインと、まだあまり日光や風雨、虫の洗礼を受けていない内照式の社章・駅名が特に鮮やかだったのが印象に残った。そして裏手側の北口は依然整備途上で、通ることはできなかった。
早朝のいわき駅前。突き当りに見えるペディストリアンデッキの下にロータリーが、上に駅舎がある。
いわき駅前にあった、おもしろい犬のオブジェ。
まだ整備途上だったいわき駅北口。
いわき駅で発車待ちをしていた常磐線のエース、651系「スーパーひたち」。
ここから至極順当に「反復横跳び」。ただ朝の通勤時間帯には同方向に続行する列車もあるので、ややランダムになる。いわきから、2つ進んで四ツ倉、1つ戻って草野、2つ進んで久ノ浜、と降りる。

駅の写真を撮っていると、待合室にいたおっちゃんが「どこから来たんだい?ちょっと歩くと海に出るよ。」と教えてくれた。この夏は前年に続いての猛暑で、昨日今日も晴天。9月に入ってはいるものの、7時過ぎに降りたこの駅で、既に暑い。ただ残念ながら海辺で涼むほどの時間もない。2つ進んで広野へ。

広野は「今は山中今は浜今は鉄橋渡るぞと思う間もなくトンネルの闇を通って広野原」という童謡「汽車」の歌詞の舞台であるとの説がある地。実際は否定的見解も強く、諸説紛々だが、確かに久ノ浜付近から広野まで、それに近い目まぐるしい車窓が展開する。特に山間の隣駅末続に対し、ここ広野は駅裏に広大な田園が広がる対比は面白い。1つ戻ってその末続へ。

末続駅は起点日暮里から227.6キロ、55駅目にして初めて現れる常設の無人駅。周囲は小高い山腹の古い住宅地で、上り方では集落越しに海が望める。
駅舎も何か渋い。屋根瓦が前後の駅のようなカラフルなものではないからかもしれないし、窓が木枠のまま残っているからかもしれない。無人駅ながら植栽やプランターがよく整備されており、中々雰囲気がよい。こんな駅でボーっと過ごすのは大好きだ。
朝の通勤通学時間帯の四ツ倉駅。
いわき駅の電留線を兼ねる草野駅。常磐線は全般的にホームが広い。
久ノ浜駅付近で車窓から見えた海。
幹線らしく、貨物列車が行き交う。久ノ浜駅にて。
広野駅裏手の広野原、ならぬ田園地帯。
プランターの良く整備された無人駅、末続駅。

お次は3つ進んで竜田、1つ戻って木戸と進むが、この移動でいわき市から広野町を越え、楢葉町に入る。この先富岡町、大熊町、双葉町、浪江町と、原ノ町駅のある南相馬市に入るまで、双葉郡の町が続く。

「平成の大合併」期を経たのち、かように小さな自治体が沿線に連なるのも珍しくなった。つまりこれらの自治体は裕福なのだ。もちろんそれは福島第一、第二原子力発電所の立地及び隣接自治体への交付金によるもの。「金があるんだろうなあ、車窓は長閑だが…」と、当時はなんとなくそんなことを考えながら車窓を眺めていたことを覚えている。

そしてこの後平成23年3月の福島第一原発の事故を経て、平成24年現在、木戸駅手前から桃内駅手前までは立入禁止区域に入ってしまい、日常的に訪問することができなくなっている。ある日を境に突然故郷に、我が家に近づけなるという事実は、自分にはちょっと想像ができない。

さて木戸駅は今日の行程の中でも長めの44分の滞在となった、が、通勤時間帯も過ぎ、朝から動いていて初めて自分しか降りず、かつ自分しか乗らない駅ともなった。いきおいローカルムードも増す。
町の中心は先ほど降りた竜田駅だが、この辺りの駅は、駅から見た限り、駅前の雰囲気がどこもよく似ている。いずれも田園の中の住宅地である。つまり特に何もなく、やることがない…。うだるような暑さの中、ホーム機械室に日陰を求め、文庫本を読んでいた。次は2つ進んで夜ノ森へ。
竜田駅では水戸の団体臨時列車がやってきた。交換待ちで停車中。
通勤時間帯も過ぎ、自分の他に誰も降りなかった木戸駅。乗る列車も自分だけだった。
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