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ある日の浜通り その2

この辺りの駅は、事前に訪問歴が全くなかったこともあり、あまり聞き馴染みない駅が多かったのだが、夜ノ森駅については、どこか幻想的な駅名と共に、ツツジが見事な駅として知っていた。
ホームのある浅い掘割の、両側の斜面一面に茂るのがツツジなのだろう、が、今は濃緑の灌木にしか見えない。駅舎内にツツジ満開の大きなタペストリーがあり、鮮やかな雰囲気が見て取れた。

さて、計画ではこの夜ノ森駅で1時間20分あまりの大休止となっていた。この駅も普通の町の駅で、暇つぶしはなさそうだ。
計画では次は一つ戻る富岡駅。隣駅だからそこまで歩こうかとも思ったが、営業キロで7キロ弱あり、またあまりに暑い。そして荷物が重い。小型ながらノートパソコンを持ち歩くようになって以来、荷物の重量は増している。予備デジカメや予備バッテリー、時刻表や文庫本も重量が嵩む。
ついでに言えば今日の最終到達駅鹿島駅の時刻が18時過ぎということで、駅自体の明るさ如何では照度がやや心許なく思っていた。

という訳で、長年駅巡りをしていて初めてのことだが、富岡駅までタクシーを使ってみた。(落ちぶれたもんだ…)
実際タクシーで走ると富岡駅までは意外に距離を感じたし、値段も1,940円かかった。「丸宮タクシー」のレシートが今でも残っている。タクシーから眺めた町割りは、やけに道路が立派に見えた。富岡町は楢葉町と共に福島第二原発の立地自治体である。特に今となっては、列車の車窓からは眺められなかった町中を見られただけでも意味はあったのだろう。

そして到着した富岡駅は、…やっぱり普通の町の駅だった。丁度正午になるし、町の中心駅である富岡駅周辺ならば、メシでも食いながら時間をつぶせるかなと思ったが、ちょっと当てが外れた。

昨晩つくった旅程のメモ書きには、夜ノ森駅から先の計画が消され、「ワープ!」の文字とともに伸びた矢印の先に、新しい計画が書き加えられている。富岡駅併設のコンビニ売店でパンを買い、それを頬張りながら駅待合室で立て直した計画だ。新計画では鹿島駅到達が丁度1時間繰り上がっている。

ちなみにこの富岡駅も、この半年後のあの日、駅の東に広がる海が牙を剥き、駅舎流失の憂き目にあっている。

さて富岡駅で立て直した計画では、次は特急「スーパーひたち」を使う。それで2つ進んで大野駅へ向かう。
結果としてこの富岡駅の前後で18キップ1回分以上の費用がかかったが、たまにこうして駅巡り中に入る特急車両は、やはり特急の快適さ、特にシートの良さと走りの滑らかさのようなものを実感する。
夜ノ森駅のホーム。ゴールデンウィーク辺りなら両側のツツジが見事な色をつける。
夜ノ森駅の駅舎にあった大きなタペストリー。ツツジが満開の様子。夜ノ森地区は桜の有名な公園もあるらしい。
タクシーワープで着いた富岡駅。富岡町の代表駅。この半年後、津波で全壊してしまう。
富岡駅からスーパーひたち15号で2つ隣の大野駅へ。町の代表駅が連なり、特急もこまめに停車する。

特急で、先ほど降りた夜ノ森駅を通過し、大野駅に到着。
大野駅は戦後に大野村と熊町村が合併して成立した大熊町の代表駅。大熊町と言えば、隣の双葉町とともに東京電力福島第一原発の立地自治体で、爆発した1〜4号機は大熊町域にある。つまり現在の立ち入り禁止区域の、駅としてはど真ん中とも言える。

駅舎はこの辺りでは珍しい橋上駅舎で、国鉄時代のものらしい。「JR」の文字が見当たらず、ちょっとした違和感がある。むしろ素っ気ない公民館のような公共施設のようだ。が、やはり立地としては普通の町の駅。特に裏手の東口側は込み入ってはいないが、普通の路地に面している。役場が南方にあり、その辺りがメインストリートなのだろう。駅周辺はあくまでものどかだ。続いて2つ進み、浪江駅へ。

浪江町は双葉郡で最も人口も多く、浪江駅も昨日降りた相馬駅より立派に見えるくらいで、駅前の雰囲気も合わせ、いかにも主要駅といった雰囲気がある。もちろん特急も停車する。

ただ電源街道とも言えるこの周辺で、電源施設誘致に関しては、実は浪江町は「負け組(?)」だったらしい。
町の原発政策は、推進派と反対派が分かれて紛糾した結果、東京電力の原発は結局大熊・双葉と富岡・楢葉に建設された。その後東北電力の原発計画で、浪江・小高が候補に上がったそうだが、それも最終的には女川に収まり、また火力発電所も広野、原町、新地に建設された。こうしてこの辺りでは珍しい電源施設の空白自治体となっている。

しかしB級グルメの浪江焼きそばや、公式には所在が明かされていなかったDASH村、原発事故時に不幸にも放射線が北へ向かったことなどから、この双葉郡の自治体で、今一番名前を聞くのがこの浪江町ではないだろうか。続いて1つ戻り、双葉駅へ。
近辺では珍しい橋上駅舎を持つ大野駅。他はいわき以北では、真新しいいわき駅しかない。
大野駅の名所案内板。「原子力発電所」は福島第一原発のこと。双葉町との境界の海沿いにあり、駅からは少し離れている。
主要駅の貫禄漂う浪江駅。乗降数も多かった。
駅から見た浪江駅前。バス・タクシーと自家用車の分離したロータリーのある、立派な駅前スペースがある。

双葉駅は巨大な合築駅舎だった。駅自体はその片隅だが、駅ビルのない駅舎でここまで大きなものはあまり見ない。この町の公共施設の壮大さ、駅前の道の広さの一方、人の姿が一人も見えない駅前に、えも言われぬギャップを感じた。

双葉駅は滞在が13分と短かったため、たまたまだったのかもしれない。また滞在の短さゆえ大した発見もなかった。
ただ浪江駅から一緒の列車に乗ったおっさんがキセルだったらしく、この駅で降りようとして、委託の駅員にコッテリ絞られていた。「もうしませんごめんなさい」といった声が響き渡っていたが、何やってんだか。次の列車を待っていた中学生たちはどんな思いで眺めていたのだろうか。

次は3つ進んで小高駅へ、…とここでアクシデント発生、暑さでボーっとしていたか、小高の1つ手前の桃内駅で降りてしまった。

アッと思ったのは列車が動き出した直後。そして桃内駅は、ここらの駅では珍しい、文字通り「何もない」無人駅だった。前後の駅の「何もない」、は「取り立てて何もない」だったが、ここは「本当に何もない」。駅は低い築堤上にあり、駅前から広い田園地帯が見渡せる。
そしてこの駅で、降りた列車と同じ、次の下り列車を待つ、つまり丸一時間を過ごすことになった。先の「ワープ!」効果も半減してしまった。
駅から見た、桃内駅の駅前。近辺駅でも際立ってのどかだ。
のどかな桃内駅を特急が速度を落として通過していった。

続いて2つ進んで磐城太田、1つ戻って小高、そして2つ進んで、ある意味今回の当初目的地、原ノ町駅に到着。

昨日は原ノ町駅2つ隣の日立木駅から相馬駅へ戻ったところで日没し、今日はラスト1つ手前での到達と、随分じらされたが、日を挟んでの両側からの「駅取材」では、お目当ての駅がこの位置にくることが意外に多い。

原ノ町駅は昨晩、夜とは言え乗換えで一目見てはいるが、やはり立派な、堂々の巨大木造駅舎だ。入口付近は高い車寄せに太い円柱が林立している。この特徴的な円柱、現在でこそ鉄筋コンクリートだが、当初は竹筋コンクリートだったらしい。そんな言葉は初めて聞いた。

駅舎内は天井が高く、壁に相馬野馬追のイラストが描かれている。またコンビニ売店が入居し、駅そば屋もある。駅そばは駅前の旅館の経営で、昨日の乗換時に、ここで晩飯を食べた。自分は姿を見ることはできなかったが、駅弁の立売りも健在らしい。
駅裏へは自由通路跨線橋があり、背の高い駅舎や、駅裏のヤードが見渡せる。ヤードは電留線のほか、奥には無蓋貨車が並んでいた。旧原町市は鉱物輸送で賑わった街で、その片鱗のようなものを感じる。だが、バラス運搬用の保線車ではあるまいな…?

さて1つ下り方の鹿島駅へ進んで、今日の「駅取材」は無事終了。元々原ノ町転回の列車が多いこともあり、結局鹿島駅へは桃内駅で崩れる前の、富岡駅で組んだ計画通りの列車での到達だった。結構日差しも傾いており、いわきで昨晩立てた、この1時間後の鹿島駅到着の計画は、やはり微妙な線だった。昨日の相馬駅とほぼ同じ時間帯は、この駅では光量が足りなかったかもしれない。

ここから一旦原ノ町駅へ戻り、ここで日没。仙台へ戻る。駅巡り、今回の行程はこれで終了である。
小高駅の、駅から見た駅前。落ち着いた街並みながら旧自治体代表駅らしい駅前。
が、駅の裏手はこのように田園が広がる。常磐線北部はこのような立地の駅が結構多いよう。
この日の最終「取材」駅、鹿島駅。
夜の原ノ町駅。昼の画像は「駅と駅構内」に使ったので。それにしても貫禄十分。
駅入口、特徴的な支柱。
地方都市でもホームの駅そばが残っているってのはいいもの。駅前の老舗旅館の食料部が経営しているらしい。

そして仙台からはまた往路と同じ夜行バス仙台金沢便で帰路に着く。

夜行バスの出発まで少し時間があったので、仙台で一風呂浴びようと考えていた、というより、旅程の後半では早く風呂に入りたくてたまらなかった。のぼせるような暑さと荷物の重さで体がベトベトで気持ち悪い。

長町駅の近くで見つけた銭湯で汗を流す。荷物の重さに肩が内出血していた。ちなみに、と測った荷物は8kgあった。肩に引っ掛ける程度のナップザックで、昨日今日とコレをずっとこれを背負っていたのかと思うと、逆に感心した。
仙台駅で夕食を取って、21時45分、夜行バスで仙台を発つ。翌朝6時15分に金沢駅に着き、そのまま仕事である。

いつものお調子者のようなオチがない?
実は自分でも落しどころが分からなくなった。天気も良かったし、さしたるトラブルもない。桃内駅誤下車と、あとは長町で最初に目指したスーパー銭湯が、どうやら葬儀場に変わってしまっていたという程度。
これでも計画が崩れた方で、トラブルばかりをこの「旅の記憶、旅の記録」のコーナーに乗せてはいるけれども、実は「駅巡り」なんて大概は淡々と、何の破綻もなく終わるものだ。

でもまあいいじゃないですか。これは福島県浜通り地方の、「普通の駅取材」。「普通の旅行記」だった、ということで。

末文ながら当地に住まわれていた方たちの生活に、早く真の平穏が戻ることを切にお祈り申し上げます。
アパートのような銭湯を見つけた。実は当てにしていたスーパー銭湯がなくなっており、これが本当に有難かった。
そして金沢へ帰路に着く。宮城交通・北陸鉄道共同運行の夜行バス。この日は宮城交通のバスだった。
おわり
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