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信越本線の廃線跡(米山〜笠島) その4

米山第4トンネル前から振り返った第5トンネル。やはりこのトンネルは絵になります。

この第4、第5トンネルの間は間隔が狭く、両側に、海に突き出す半島部に圧倒されるような空間。海に面するものの、今は通れない第1、第2トンネル間のような開放感はなく、大変な閉塞感と得も言われぬ裏寂しさを感じる空間となっています。非常に印象深い場所でした。
この独特な雰囲気の大きな要素がこの田塚鼻。岩肌がむき出しになり、層内褶曲と呼ばれる、珍しい、複雑な紋様を描く地層がどこか不気味さすらあります。
画像で見てもあまり伝わらないように思いますが、この地層の巨大さがこの地の息苦しいような圧迫感を醸し出しています。
よく伝わらないと思うので、せめて大写真をひとつ。
さて再び第5トンネル通り抜け、笠島駅へ戻る。米山第3トンネル付近にまだ未踏箇所はあるものの、普通の手段で現在辿れる、表題の「米山〜笠島」間の旧線跡は、中越沖地震により、こんな程度でした。

というわけで撤収、…と思いましたが、確か、この下り方、青海川駅からも、下り方の鯨波方向に廃トンネルが見えたことを思いだし。せっかくなので足を延ばし、青海川駅へも行ってみることにしました。
というわけでやってきた青海川駅
中越沖地震で大きなダメージを受けた駅の一つで、駅の奥左手、画像では既にフリーフレーム工法で固められている斜面が崩落し、土砂が路線を覆ったため、その復旧工事のために駅舎も解体されてしまいました。崩れた土砂はさらに海へと達し、海側のホームの海側にも土砂が残っています。「日本一海に近い駅」がちょっと海から離れてしまっています。
また土砂に覆われたホームも復旧のため短くなりました。以前は奥のロックシェード手前までホームが延びていました。
新しくなった青海川駅舎。駅舎自体が土砂崩れで破壊されたわけではありませんでしたが、この奥の復旧工事のための通路確保のため解体されました。
駅舎と斜面の間、車の停まっている箇所がその通路で、旧駅舎は崖のギリギリまでの幅のあるものでした。
これは平成16年4月の画像ですが、青海川駅のホームから下り方を見た図。駅を出るとすぐに路線は複線トンネル(青海川トンネル)に突入しますが、左の海側へ、丘のふもとに沿って延びる路盤跡があり、その先に小さなトンネルが見えます。これもやはり信越本線旧線の、米山第8トンネルです。
青海川駅前から低い歩道のガードをくぐって海側へ出、海岸へ降りる遊歩道へと出ます。この遊歩道も旧線跡を利用したもの。右の画像では正面に太鼓橋が見えますが、かつてはこれも旧線の橋梁を利用した橋でした。

余談ながらこの橋が渡っているのは谷根川。鮭が遡上することで知られる川で、この橋からもその様子を見ることができる、…らしいです。
橋を渡り、さらに進むと…、

…スミマセン、ギブアップです。

トンネルまで200メートルほどでしょうか。旧線跡は人の肩くらいまである夏草に覆われていました。

尚米山第8トンネルはレンガ積みのポータルにコンクリートの坑口を増設したようなつくりらしく、また接近はできてもやはり柵で塞がれているようです。

ちなみに旧線跡の遊歩道は左の海岸へ降りる道と、丘を登り、4つ上の画像の場所へ通じる歩道に分岐します。
米山第8トンネルまでの旧線跡の俯瞰とトンネルの貫く鴎ヶ鼻の全景。路盤跡は明確に残っています。


というわけで米山駅からスタートした信越本線旧線跡めぐり。震災の影響でかなり消化不良でしたが、元々遊歩道にされるくらい風光明媚な区間だったそうです。
その中で、現在唯一まともに通れる笠島駅上り方の米山第5トンネルと、それを抜けた地点の、何とも言えない雰囲気が強く印象に残りました。一人になりたいときのための場所としては一級品なのではないでしょうか。

また米山第3トンネル付近も接近できそうですし、第8トンネルも草が冬枯れすれば…、など、宿題も残った廃線巡りでした。
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