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山陰本線の過去を偲ぶ・江津駅

江津駅の1番ホーム、2・3番ホームの各下り方に古い乗車位置案内が残されています。山陰地区は新幹線がないため現在でも残っている列車名が多く、現在でも江津駅を発着する列車もありますが、「スーパー」化されていたり、電車化により江津駅へ達しなくなったものばかりで、いずれも一世代前の遺構となっています。(H25.6撮影)


「まつかぜ(*1)2号車」。山陰初の特急ですが、末期は米子止まりだったので昭和60年以前の博多行きのものです。 「やくも(*2)自由席」。現在も運行中ですが、ここ江津駅へ達していたのは益田行きのあった昭和57年まででした。
「おき(*3)1号車」。現在も「スーパーおき」として運行中ですが、あきらかに昭和期の標示でしょう。 「出雲(*4)1号車」。現在の「サンライズ出雲」の前身列車。山陰本線経由で浜田まで達していた頃のもの。
*1… 「まつかぜ」: 地方に特急列車が整備された昭和36年に山陰地区初の特急として誕生。当初は松江行きでしたが昭和39年に博多まで延長。始発側は京都発でしたが、大阪から福知山線経由での運行でした。以降山陰本線をほぼ走破し続けましたが、昭和60年に米子以西を「いそかぜ」に系統分離。翌昭和61年福知山線・山陰線城崎電化開業に伴い電車特急「北近畿」が誕生して廃止。平成15年の山陰線高速化工事延伸により、「スーパーまつかぜ」として復活。鳥取〜益田間で運行中です。
*2… 「やくも」: 「まつかぜ」を補完する格好で福知山線経由で新大阪と浜田を結ぶ特急として昭和40年に誕生。昭和47年の山陽新幹線岡山開業時に岡山発の伯備線の列車にシフト、昭和57年に電車化、国鉄時代の振り子式車両381系を使用する3番目の列車となり、ほぼそのまま現在に至ります。特急化以前には米子と博多を結ぶ準急の列車名に使用されており、山陰地区では歴史ある愛称です。
*3… 「おき」: 昭和43年、大阪と出雲市を伯備線経由で結ぶ急行として誕生。昭和46年には特急化されましたが、1年で「やくも」に改称されて廃止。昭和50年山陽新幹線博多開業時に小郡(現新山口)発山口線経由で山陰地区を結ぶ列車として復活、JR後の高速化により「スーパーおき」と名を変えましたが、現在も運行されています。
*4… 「出雲」: 昭和47年に東京と山陰地区を結ぶ寝台特急として東京〜浜田間で運転開始。昭和53年より東京〜米子間の寝台特急「いなば」を出雲市延長・統合して2往復体制となり、東京発ブルートレインでもチケットの取りづらい列車として人気を博しました。JR後の平成10年に山陰西部指向の1往復が伯備線経由で新造の285系電車化され「サンライズ出雲」に改称、出雲市止まりとなり、山陰本線経由で残った出雲市行き客車列車1往復は平成18年に廃止されて現在に至ります。
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