|
紀州鉄道線の現在の終端駅、西御坊駅。路線の終端には木材で組んだごく簡単な車留めがあり、路線終端を囲うように木柵が施してあります。柵の方は終端向こうからの、人や車の進入防止用でしょう。
そして輪留めと柵の向う側にも線路は続いています。 |
|
|
終端から線路伝いに少し進むとすぐに小川を渡る箇所があります。橋台と川床に橋脚跡がありますが、橋梁は撤去されています。
画像右手が西御坊駅で、対岸にもレールは残っています。 |
|
|
住宅地を縫うようにレールと枕木が残っています。さすがにレールは錆びつき、枕木も朽ちかけてはいます。
住宅地の只中なので、小さな路地を越える踏切跡が多くあります。踏切のレールは埋められ、警報機なども撤去されています。
前後の路盤上は辿れるかというと、全てではありませんが、紀州鉄道による立入禁止の看板と柵がある箇所が多いです。その中でも「完全封鎖」とは言えない柵も多いですが…。 |
|
|
割としっかりと塞いだ柵もあれば、全く看板も柵もない踏切跡もあります。
また途中小さな橋梁のある箇所もあり、橋梁が残っています。 |
|
|
踏切跡から路盤跡へ封鎖が施されていない箇所に出ました。この間二股に分かれる車道を越えています。下の画像の中央左右方向に路盤があり、左手が西御坊側、右手が日高川側。左の画像が西御坊方向、左下の画像が日高川方向を見ています。
密集した人家の軒先ギリギリを通っている路盤跡ですが、突如としてこのような広みのような地点に出ます。西御坊と日高川の間には戦前まで日の出紡績前駅という駅があり、それがこの位置だったのかも知れません。 |
|
|
舗装された細い車道の路地だけではなく、当初より遮断機もなかったであろう人道踏切跡もいくつかありました。 |
|
|
路盤跡は一応封鎖はされていますが、封鎖は決して厳重ではなく、実質的には近隣の生活道路と化しているほか、家庭菜園して利用されている箇所も散見されました。
レールまで残り路盤跡は明確ですが、路線以外の用途として既に風景に溶け込んでいる様子です。 |