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神岡鉄道最後の日曜日 その2 

終着駅奥飛騨温泉口駅。お別れイベントが催され、駅舎脇には山菜などを振舞うなど賑わいを見せていましたが、地元の人たちの姿も多く見られ、「神岡のための鉄道」として愛されていた様子が伺えました。
駅舎前にはいつもと同じく、神岡鉄道の貨物輸送を支えたKM-DE101ディーゼル機関車。その手前では「ミニ神岡線」が敷設され、家族連れを乗せてクルクルと。山間の駅に小さな汽笛がこだましていました。
駅舎前には仮設ステージが設置され、地元の小学生がお別れの合唱を披露。
駅舎内ではフォトコンテストを開催。プロ顔負けの写真や地元のお母さんによる子供と神岡鉄道のスナップ写真なども。
この駅でも列車待ちの客でホームは超満員。
こんなイベントも。留置線を利用した「MTB列車」。
乗るため、撮るため、色んな人たちが列車を待ちます。
カーブの先に10数分遅れの列車が姿を現す。
さよならヘッドマークをつけたおくひだ1号。
普段は静かな山間の町の町外れの駅でした。
駆け足ながらわずかばかり覗いて来たという訪問となった、神岡鉄道ラストサンデー。一抹の寂しさ反面、この鉄道を取り巻く環境から「お疲れさま」の言葉が似合うような、そんな空気に包まれていたのが印象に残りました。
そして遠方からの客と同じくらい、地元の老若男女が最後のお別れに集まっていたことにえも言われぬ寂寥感を受けたものです。豪雪地帯の、この町のための鉄道は、やはり地元の人たちに愛されていたことを深く心に刻み込み、追われるように仕事に戻ったものでした。

この会社は旅客鉄道会社としては規模が極小だったとは言え、何かとサービス精神は旺盛だった印象があります。
そして朗報として、いつでもイベント列車を走らせることができるよう、鉄道施設はそのまま残すことが検討されているようです。またいつか、「日常」でなくても構わない、元気な活きた鉄道の姿が見られることを期待しつつ、今はとりあえず、さようなら、お疲れさま、神岡鉄道。
おわり
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