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中央・大糸反復横跳びの旅 その2

周囲は既に暗くなってしまったが、まだ時刻は早い。ここで打ち止めとするのはなんだか切符がもったいない気がしてきた。
そこで一旦小淵沢へ戻り、小海線をチョイ乗りすることに。下車するのは清里駅。降りた列車が清里の次の野辺山駅で交換する対向列車で再び小淵沢に戻る。まるで意味のない移動だが、非電化線ってのは妙に惹かれてしまう。オフシーズンの夜の清里ってのも見てみたい気持ちもあった。
こうしてやってきた清里駅は既に窓口も閉まっており、構内も駅前もガラーンとしていた。確実に気温も何度か低い。ただ久しぶりに来た小海線沿線に、なんとなく嬉しくなってうろうろしていると、あっという間に滞在時間は過ぎてしまった。

これから小淵沢に戻って中央線に乗換え、茅野で宿泊の心算である。やってきた2両編成の列車には、全員20〜30代であろう6人が乗車。1両目に自分を含め男3人、2両目に女性3人が乗っており、1両目は全員起きているのに対し、2両目は全員寝ている。
妙な対照を見せる列車は小海線の急勾配を惰行で静かに駆け下る。

甲斐大泉駅を発車し、次は甲斐小泉に停車。
…?やけに暗い駅だ。窓の外は闇以外何も見えない。と思っていたら、まだ駅ではなかった。

「鹿らしきものと衝突いたしました。これから現場の確認と車両の点検を行います。」

車内放送がかかると、運転士は懐中電灯を持って列車後方の闇に消えていった。

男性陣はわいわいと2両目後方に集結する。女性陣もやはり皆目覚めたが、事態が把握できていないようだ。
「鹿をはねたんだってさ。」
普段はいるべき乗務員がいなくなったこの小さな空間には、まるで授業半ばに先生が用事でいなくなった小クラスのような、ほのぼのムードが漂う。…轢かれた鹿には悪いが。
この鹿騒動で列車は遅れたが、幸い小淵沢での接続列車は待ってくれていた。
茅野で降り、今晩の宿を探す。明日の「取材」駅東端が茅野駅だからと言って茅野で泊まる必要もないのだが、茅野を選んだのは白樺湖や蓼科、高遠などへの観光拠点であることと、機械工業の街ということで、駅付近のビジネスホテルが見つけやすそうだったから。と、もう一つ、自由通路を持つ橋上駅なので、宿が見つからない場合、雨露をしのげる場所はあるだろうという理由。
既に夜9時を回っていたので、ビジネスホテルは見つかってもフロントはもう閉まっているかも知れないと思ったからだ。
実際駅周辺の宿は既に閉まっていたが、駅から少し離れた場所で空室のあるビジネスホテルを見つけた。
無計画というのは楽天家でないとやっていけないのだろう。今になって思えば呆れる綱渡りっぷりである。いや楽天家だから無計画なのだろうか。
「あんたはどこでも生きていけるわ。」昔の連れの呆れ顔が浮かぶ。
就寝前に寝床で2日目の計画を立てる。さすがに帰路に着く最終日の計画は立てておく。
「計画立ててなかったから帰れんかったわ」とそこまで楽天家ではない。現地で計画を立てる、というのが限度である、多分。
晴天は持続し、この季節としては夕刻ぎりぎりまで「取材」ができた。韮崎駅では富士山の姿も。
日没後、きまぐれで小海線を「つまみ食い」。オフシーズン夜の清里をしばしうろつく。
さて2日目。まだ薄暗い茅野駅からスタート。さすがに信州、春先の朝はまだ冷え込みがキツイ。

ここから先は既取材駅と未取材駅が混在する。点在する未取材駅を拾いつつ、辰野支線を廻って篠ノ井線から大糸線に入り、南小谷駅までを取材、そのまま北上して糸魚川駅から北陸線に乗換えて帰路に着くという予定である。
この辺りは前日の八王子近辺よりも当然列車本数は少ない。初っ端から反復横跳びを繰り返し、辰野支線小野駅に到着した。

小野駅は比較的交通量の多い、狭い国道沿いにある駅だ。駅前にいると、どうにも埃っぽい。埃がチラチラと舞っているのが見える。と思いきや、これは、…雪だ…。
寒いはずである。もう4月に入ろうかという時期に雪に会うとは。いや思えば地元北陸でもこのくらいの時期にいわゆる「寒の戻り」があり、大抵の年に1、2日はうっすら積もるほど雪が降る。それはよいとしても、何も出先でその日に当たることもなかろうに。
実はこの年の冬は極端には雪の多い年ではなかったのだが、行く先々でその地のシーズン一番の雪に「命中」していた。その名残はまだ続いていたのか。はたまた昨晩の鹿の怨念か。
自分は決して「雨男」ではない。…が、「雪男」だったのか?
この年に限ってはそれは認めざるをえまい。
朝の賑わいを見せる辰野駅。
チラチラと雪が降り始めた小野駅。
雪国の方なら分かるかもしれないが、感覚的なものであろうが、雪は「しんしんと」降る時よりも、この「埃」のような細かなものがチラチラ舞う時の方がよほど寒く感じる。
ただ、こういう雪は概して長くは降らない。…とタカをくくっていたが、一向に止む気配がない、どころか、次第に大粒になってきた。
篠ノ井線に入り、南松本駅では広い貨物ヤードの先が霞んで見えないくらいの降雪となった。
さて反復横跳びの駅巡りであるが、2日目の朝は天候には祟られたがスケジュール的にはさくさくと進んでいる。朝の通勤ダイヤのお陰、というよりも「予定を立てていたから」であろう。

が、南松本駅では若干時間が空いた。というより隣がターミナル駅の松本駅であるため「反復横跳び」ができず、続けざまに下り列車に乗らなければならなかったからだ。
次の「取材」駅はその松本駅。雪も止む気配はないし、傘の調達を兼ねて駅巡り旅の最終手段、「徒歩」をこの旅初めて敢行することにした。
これは予定にはなかったのだが、松本から乗り継ぐ大糸線では二箇所の徒歩予定区間がある。列車待ち時間を利用して歩けば、上手くいけば大糸線の予定列車の先発列車を捕まえて、予定を前倒しに出来るかもしれない。1本先の列車に乗れれば下車可能駅は一つ増える。つまり徒歩区間が一つ減ることになるのだ。
まずは傘の確保が先決。コンビニを探しながら松本駅を目指す。が、南松本駅周辺は工場地帯であり、小さなオフィスや店舗はあるものの、肝心のコンビニや傘を売っていそうな店は一切見つからない。
視界を塞ぐほどの春先のシャーベット状の雪は容赦なく吹き付け、じわじわと体力を奪っていくのが感じられる。しかもこの天候がそう感じさせたのか、はたまた実際にそうなのか、松本駅、意外に遠い。
ベタベタと張り付くような雪と格闘しながら小一時間、ようやく1軒のコンビニを見つけた。
「やっと傘が手に入る、これでやっとこの雪だけはしのげる」との感慨は、実はない。なんのことはない、目の前には既に松本駅が佇んでいるからであった。

後に調べると、南松本駅と松本駅の間をちゃんとほぼ最短距離で歩いていたようだ。だが道中、1軒もコンビニがないとは思いもしなかった。決して松本市内にコンビニが少ないわけではないのだが、自分の知っていた松本市は結局「表街道」に過ぎなかったのであろうか。
(※南松本駅はこの後駅舎の半分が解体され、現在ではその跡地にコンビニが建っています。)
結局松本駅には、南松本駅で待って乗る列車とほぼ同時に到着した。大糸線へは予定列車を使うことになる。予定外の徒歩は、単なる運動以外何者ももたらさなかった。
南松本駅では広大なヤードの奥が霞むほどの降雪に。
松本駅の大糸線ホーム。路盤が白くなり始めた。
松本からは大糸線に乗換える。
一日市場駅で列車交換の時間を利用して構内を「取材」後、南豊科駅で下車。ここから隣の豊科駅まで再び歩く。
大糸線は今回の旅程で最も本数の少ない区間。こうした列車交換の利用や徒歩も重要な手段となってくる。が、これらを利用しても尚各駅の滞在時間は長めとなる。まぁ全国規模で見れば大糸線はまだマシな方なのだが。

ちなみにこうした南豊科駅から豊科駅のように、「南○○駅」等から「○○駅」は比較的距離が短いかな、と徒歩区間として予定することが多い。だがそれ以上の根拠はない。単純な頭である。そして南松本駅のように「う〜ん失敗したかな」というケースも当然多い。
尚路線の営業キロは目安にはなるが、道路が線路にずっと並行するとは限らないので妄信もできない。むしろ間に川があるからこそ駅間距離が短いケースもあり、その場合人道橋まで大迂回を強いられるというパターンもある。
豊科から、有明、穂高、信濃大町、信濃松川とやや「大股」な反復横跳びを行い、信濃森上駅に到着。ここから隣の白馬駅へまた歩く。
この辺りまで来ると日本海、北陸道沿線は比較的近い。車での訪問や通過と含めると、経験値はかなり高い地区となってくる。信濃森上駅は今では「裏道」沿いだが、自分が自動車の免許を取った頃はこの道が国道メインルートであった。見馴れた通りで白馬駅まで歩く過程においても大体あと残りどのくらい歩くかは把握でき、精神的には楽である。
白馬駅に到着。まだ乗車予定列車の発車時刻までかなり時間はあるが、改札は開かない。
手前勝手なことを言えば、こういう駅が一番厄介だ。下車後と乗車前のわずかな時間にバタバタと構内を「取材」することになる。ほぼ常時改札している県庁所在地クラスの大きな駅や、改札が自動化されている駅などは、乗車前に早めにホームに入り、のんびりと「取材」できるのだが。仕方がないので列車が来るまでのしばらくの間、駅前の土産物屋で時間を潰す。
このあとは少し戻って神城駅、そして再度折り返して南小谷駅滞在時に日没を迎える予定。
「あんちゃん、今日一日でこれだけ積もったんだよ。こんな時期だけど、まぁこの辺りはこんなもんだ。」
大阪近辺の人間と思われたのだろう、金沢弁は西日本圏を外れると関西弁に聞こえるようで、神城駅へ向かう車中で隣に座った地元のおっちゃんが、外を見ながら解説してくれた。

この辺りの日本海側「最深部」とも言える佐野坂峠の北麓。さすがに雪は深い。しかし自分は関西ではなく北陸の人間。今日のうちに自分も家路に着くが、この寒の戻りである。家にたどり着いたところで、北陸も「外の白さ」は結局同じなのであった。
単線上では特急待避も重要な取材時間になる。有明駅にて。
殆ど真冬の景色となった大糸線沿線。4月に入ろうかという早春の風景。神城駅にて。
さてこうした「反復横跳び」の旅、今回は中央東線、篠ノ井線、大糸線という、個人的には列車以外でも訪問暦は多い地区で、周辺の景色は比較的見慣れていた。
しかしそれでもこの「反復横跳び」の最中には、今見た景色が前に、後ろに流れ飛び、自分がどこに向かっているのかが曖昧になってくる。するとなんだか自分の存在すら曖昧となってくるのである。いや本当にそんな気さえしてくるのである。「ここはどこ?わたしはだれ?」なんて台詞があるが、「ここはどこ?」が故に「わたしはだれ?」となるのだとすると、これは実は名言なのだとつくづく思う。
「心の三半規管」を鍛える旅、こんなのもたまにはいかがなものでしょう?
おわり
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