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大間線(予定線)の遺構その1二枚橋橋梁

平成13年に廃止された下北交通、そして旧国鉄の大畑線ですが、本州最北の終着大畑のさらに先、下北半島北端の大間(奥部)を目指して着工された路線があり、それが大間線でした。戦中に津軽海峡の防衛という軍備上の理由と、また生活・観光の足として期待されましたが、戦局が厳しさを増した昭和18年に工事は中止。その後青函トンネル計画時に候補ルートの一つとしても着目されましたが、結局日の目を見ませんでした。
大間線の敷設工事そのものはかなり進捗していたため、築堤、隧道、橋梁など多くの遺構があります。使用していない物を「遺構」と呼ぶのも奇妙ですが、こうした奇妙な遺構は、戦後60年を経過した現在でもその巨躯を津軽海峡沿いに晒しています。
それらの遺構のうち目立つのがコンクリートアーチ橋で、現役線でも只見線や岩泉線、日田彦山線などでも見られるものです。二枚橋橋梁は大畑駅からほど近い二枚橋地区に残る7連アーチ橋です。(H20.5撮影)


軽トラが手前にあるので大きさ比較が難しいですが、結構高い橋梁で、7連のコンクリートアーチ橋です。上部は道路や歩道がある訳でもなく、通行はできません。 国道から見た二枚橋橋梁。二枚橋はこの地区名ですが、同じ小川を渡る国道橋も「二枚橋」でした。
何にも使用されていないコンクリの塊かというと、テレビアンテナの架台となっていました。一応活用されていると。 橋のたもとにあった防災マップ。右隅に「現在地」がありますが、この橋梁はないものとされています。
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