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山陽本線の過去を偲ぶ・徳山駅

山陽本線には国鉄・JRを代表する名列車が数多走っていました。これらは主に2度の激震、つまり昭和期の山陽新幹線の開業と平成の夜行列車群の解体期を経てほぼ壊滅状態となりました。
徳山駅1番ホームにはそれらの列車の乗車位置案内の跡が残っています。この乗車位置案内は、はっきりと読み取ることができるという点でまず希少。そして何よりその内容が、いずれもレジェンドクラスの、名だたる列車名が列挙されています。山陽本線、ひいては在来特急華やかなりし頃を偲ぶ貴重な痕跡として一見の価値があるものです。(H21.1撮影)


「あさかぜ(*1)」「さくら(*2)」「みずほ(*3)」は東京と九州を結んだ伝統の寝台特急。「あかつき(*4)」は関西の対九州ブルートレインの祖、「音戸(*5)」「つくし(*6)」はこれらを補完した急行列車でした。 「つばめ(*7)」は戦前の超特急で山陽新幹線開業間までの昼行特急、「はと(*8)」はその姉妹列車、「月光(*9)」は世界初の寝台電車581系のデビュー列車と、いずれも伝説的な列車名です。
「みどり(*10)」は夜行の「月光」の相棒として昼行を担当した列車、「しおじ(*11)」は「つばめ」「はと」とともに山陽昼行特急としてトリオを組んだ列車です。 「なは(*12)」は関西の九州を、当初は昼行のちに夜行で結んだ列車で、「あかつき」とともに関西ブルトレのラストを飾った列車です。
「日向(*13)」は関西と宮崎方面を結んだ急行でした。 これは列車名は読み取れませんでしたが「4」「着席券」と読めます。指定席車両を指した言葉でしょうか。
*1… 「あさかぜ」: 「走るホテル」と評された固定編成による寝台特急「ブルートレイン」の元祖。昭和31年に東京〜博多間で一般客車を使用して運行を開始し、昭和33年にブルートレイン20系を導入、その後季節列車を含め最大3往復まで増発されましたが、JRの夜行列車削減の波を受け平成16年に最後の1往復が廃止。末期は下関止まりでした。
*2… 「さくら」: 東京〜長崎・佐世保を結んだ寝台特急で、国鉄時代からJR初期は東京発ブルートレインのトップを切って東京を発っていたため、全国で唯一の列車番号1レを与えられた列車でした。登場は昭和34年で、「あさかぜ」「はやぶさ」に次ぐ3番目のブルートレインとして運行を開始、人気を博しましたが、平成に入って11年に佐世保編成が廃止、そして平成16年に長崎編成が廃止となりました。最後は「はやぶさ」との併結列車でした。尚「櫻」は昭和4年に命名された全国初の列車愛称であり、現在は鹿児島行きの九州新幹線の愛称に使用されています。
*3… 「みずほ」: 東京〜熊本・長崎を結んだ列車で、昭和38年より九州ブルートレインとして「はやぶさ」「さくら」を補完しました。華やかな東京発九州ブルートレインの中では地味な存在で、ブルートレイン最盛期にも比較的チケットの取りやすい列車でした。夜行列車退潮が顕著となる前、JR後では東京発九州ブルートレインでは最も早い平成6年に廃止。現在は九州新幹線の速達列車として愛称が復活しています。
*4… 「あかつき」: 昭和40年誕生の関西初の九州ブルートレインで、京都・大阪から鹿児島や長崎方面で運行されましたが、鹿児島系統を「明星」「なは」に「暖簾分け」し、主に大阪と長崎・佐世保を結びました。最盛期には5往復を誇りましたが、末期は日豊系統の「彗星」、次いで鹿児島系統の「なは」と併結する「半人前列車」となり、平成20年に廃止。複数運転されていた頃には付属編成が筑豊本線を経由する列車もありました。
*5… 「音戸」: 大阪から呉線を経由して広島・下関までを結んでいた夜行急行列車。昭和36年に誕生しましたが、昭和50年にブルートレイン化、特急格上げで「安芸」に改称したことで列車名は消滅。その「安芸」も肝心の呉線内の時間帯が悪く利用者が低迷し、僅か3年で廃止となりました。
*6… 「つくし」: 大阪〜博多を結んだ急行列車。昼行列車で、昭和40年運行開始。後に大分行急行「べっぷ」を併結することもあり、また末期は一部が赤穂線経由でした。昭和50年山陽新幹線全通時に廃止となりました。
*7… 「つばめ」: 東京と神戸を当時の最速で結ぶ列車として昭和5年に誕生。「超特急」と呼ばれた国鉄のエース列車でした。戦後も東海道・山陽本線を走り続け、客車時代は機関車に専用色を施すなど別格扱いでしたが、のちに電車化、東海道山陽新幹線の西進に追われるように運行区間を西に移し、昭和50年山陽新幹線全通で廃止。最後は岡山〜博多・熊本の運転でした。JR発足後、JR九州が特急そして新幹線に愛称を使用していますが、この伝統の愛称、使用に先駆けJR九州はJR他社へ挨拶に回ったとか。
*8… 「はと」: 戦後に復活した「つばめ」の姉妹列車として昭和25年に誕生。以後「つばめ」と共に歴史を歩み、新幹線に追われるように昭和50年廃止。こちらも伝統の列車名ですが、戦後のご時世の「平和の象徴」として選択された愛称で、「つばめ」と異なり復活しないのは、時代の趨勢、というよりも「つばめ」のようなスピード感を感じないこと、それ以上に単に2文字の語感が悪いからではないでしょうか。
*9… 「月光」: 世界初の寝台電車581系を使用した初の夜行列車。151系から485系のボンネットタイプを「こだま型」と呼ぶように、この581・583系は「月光型」と呼ばれ、共に国鉄時代の特急列車の顔となった名車のデビュー列車です。「月光」は昭和42年に新大阪〜博多を速達で結ぶ夜行列車として誕生、のちに山陽新幹線の延伸に追われるように運転区間を西に移動し、昭和50年に廃止。列車そのものはすでに運行していた「明星」「なは」に統合されました。
*10… 「みどり」: 「月光」とともに581系デビュー列車の昼行列車として誕生。関西・山陽筋と大分・宮崎を結びました。やはり山陽新幹線全通の昭和50年に廃止されました。愛称そのものは翌昭和51年に小倉・博多と佐世保を結ぶ特急として復活し、現在でも運行されていますが、基本的に分割併合を行う短編成列車で、どこか主役の陰に隠れるような存在なのも伝統のようです。
*11… 「しおじ」: 昭和39年151系を使用して誕生した、関西と下関を結んだ昼行特急。「つばめ」「はと」とトリオを組みました。昭和47年の山陽新幹線岡山開業後も大阪直通列車として据え置かれ、最大5往復まで拡充されましたが、新幹線全線開業の昭和50年に廃止となりました。
*12… 「なは」: 沖縄の本土復帰を願って昭和43年、「かもめ」の鹿児島編成を独立させて誕生。昭和50年に「月光」と入れ違いで581系使用の夜行列車化。関西対鹿児島本線系の夜行特急では「明星」が最大7往復運行される中、1往復を守り続けました。昭和59年に「明星」が「あかつき」併結のみの「半人前」列車のみとなった改正でフル編成の客車列車化、最終的には「那覇」からは遠く後退した熊本止まりとなりましたが、「あかつき」とともに関西発九州ブルトレのラストを飾って平成20年に廃止されました。
*13… 「日向」 :昭和35年大阪と都城を結ぶ夜行急行として誕生。昭和43年に従来の列車は「日南」に改称(同時に寝台特急「彗星」も運行開始)、列車愛称は大阪〜宮崎間の昼行特急にシフトしましたが、昭和50年山陽新幹線全通で廃止。その後平成12年に延岡と宮崎空港を結ぶ昼行特急「ひゅうが」として愛称は復活しています。
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