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紀州鉄道(西御坊〜日高川)廃線跡 その2


この時全く気付かなかったのですが、路盤脇に1基、腕木式信号機の残骸もあったようです。帰って、撮った画像を調べてみると確かに写り込んでいました。赤矢印の柱がそれです。これは西御坊側の踏切跡から日高川方向を見た図。

下は反対に、日高川側の踏切跡から西御坊側を見たもの。画像では電柱と全く見分けがつかないくらいですが、腕木式信号機の、腕木が撤去され、2つの穴が空いた信号機部分が残っています。
しかし現地で気付かないとは、自分の観察眼のなさがふがいないです…

そして腕木式信号機の下り方の踏切跡には踏切の警報機が残っています。これもここで初めて現れるものです。

そしてこの踏切を過ぎると路線跡にはポイントの形跡も現れ、路盤跡も複線となります。

そしてすぐに、もう一つ警報機の残る踏切跡が現れます。

2つ目の警報機の残る踏切跡から先はレールも複線となります。もう既にかつての終点日高川駅の構内に入っています。

複線になった路盤跡には小さな橋梁も残ります。この辺りの路盤は3線分あり、うち2線だけ枕木とレールが残ります。画像一番奥に3線目の橋梁の鉄骨が確認できます。

橋梁部から西御坊方向を見た図。ごく小さな路線とは言え一端のヤード跡の風格です。戦前は機関庫もあったようで、さらに左右に広かったのではないでしょうか。戦災により全焼したようです。

そして終端部にはホーム跡が残ります。平成元年の廃止時には1面1線の駅だったようですが、ホーム跡向かいの民家の基礎にある擁壁もホーム跡のように見えます。
末期は至近の王子製紙の工場への、1日2本の貨物輸送もあったようです。


さてこの廃線跡、残存設備はかなり多い部類で、特にレールはほぼ100%残っています。橋梁や踏切警報器なども一部残っており、今後はどうなるのでしょうか、住宅地の風景に馴染んだまま朽ちていくのもまた味があってよいのかもしれません。
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