▲鉄道雑学研究所北陸支所トップへ  ▲廃線・廃駅INDEXへ
北陸鉄道 金名線廃線跡 その3  (瀬木野〜下野)

瀬木野を過ぎるとほとんど風景の変わらぬまま、全くのカーブも無いままに服部駅跡。距離にしても500メートルと、金名線駅間最短距離でした。

服部駅は良質な陶石を産出した服部鉱山からの鉱物輸送で賑わった駅ですが、駅跡としては雰囲気的な痕跡もなく、県道沿いにバス停がある程度。

左の画像は県道脇から。右に写る白い柵が金名線跡の「手取キャニオンロード」です。
服部駅跡地を過ぎると路線跡は緩やかに勾配を上り、また県道からは離れていきます。「手取キャニオンロード」からは県道を見下ろす格好となり(下の画像民家のあるあたりが県道)、また県道からは「手取キャニオンロード」が山裾に伸びる様がよく見えます(右下の画像)。

県道は田園地帯から、小さな集落に入った、ごくなだらかな小峠のような地点であり、この辺りに1軒だけある商店の付近。この辺りの県道からは予備知識がなくとも、見る人が見れば廃線跡であることを感じ取ることができるのではないでしょうか。
「手取キャニオンロード」も県道同様ごくごく小さな峠を過ぎると、「ファミール鳥越」とは全く異なる、古い集落に出ます。河合の集落で、この辺りは路線が民家の庭先を縫う様に走っていたようです。

この集落の途切れる手前に、不自然に「手取キャニオンロード」と併走する農道が現れ、また「手取キャニオンロード」も若干拡幅します(下の画像)。
この辺りが加賀河合駅跡。ここから県道に出ると加賀河合バス停があります。
駅の痕跡は希薄ですが、路線バスのバス停に「加賀」が冠されるところは、駅の名残と言えば名残でしょう。
加賀河合駅跡から緩やかに下り、しばらく集落は途切れます。
そして右手に古い、大きな木造建造物が見えると大日川駅跡。バス停があります。

この建造物は河合鉱山の施設。服部鉱山と同じく陶石が採掘され、金名線現役時代にはこの駅からも鉱物輸送がありがありました。
巨大な木造建造物は鉱山のホッパーのようですが、鉄道由来のものか自動車輸送用かは判別できませんでした。ここの一連の施設が稼動しているかは分かりませんが、鉱山自体は現役です。
金名線はこの先手取川の支流大日川を渡りますが、金名線跡を利用した「手取キャニオンロード」は平成17年に「てどり桜街道」と称する市道が開通するまでは、ここが終端となっていました。

現在の「手取キャニオンロード」は「てどり桜街道」の歩道部としてここで左折する格好で大日川を渡河し、3駅先の釜清水駅跡手前まで金名線跡を辿ったのち、国道360号線にぶつかります。

一方広瀬駅跡付近から併走してきた県道44号線は、一応ここでお別れとなります。この県道はしばらくこのまま大日川右岸を走ったのち、このやや上流で渡河し、「てどり桜街道」としばし併走しながら鳥越城址・旧鳥越村役場方面へ進みます。
金名線の大日川橋梁のガーダー橋は、廃線後も「てどり桜街道」が整備され始める平成15年までその姿を留めていましたが、現在は橋脚や橋台を含め「てどり桜街道」の新橋に取って代わられ、痕跡はありません。
左の画像は下流の橋から見た「てどり桜街道」の大日川橋梁です。
大日川を渡った「手取キャニオンロード」と「てどり桜街道」は、真っ直ぐに田園地帯を進んだのち、集落に入っていきます。
小学校などもある大きな集落ですが、この集落に入る手前に下野駅という駅がありました。しかしバス路線は併走する県道側のようで、「てどり桜街道」側にはバス停もなく、全く痕跡が残っていません。

何の根拠も記憶もなく、現地の雰囲気から、「この辺りかな〜」と撮ったのが右の画像。

尚この辺りで自転車にまたがって写真を撮っていたら、地元のおばさんに声をかけられました。おばさんは左手に戻る方向に延びる小道を川縁へ下れば、美味しい清水が湧いていると教えてくれました。
その /  / 3 /  /  /  / 7(補記) へ
▲鉄道雑学研究所北陸支所トップへ  ▲廃線・廃駅INDEXへ