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国鉄橋場線 橋場駅跡

JR田沢湖線は秋田新幹線のルートとして、在来線では花形的な路線ですが、元々盛岡方の橋場線、大曲方の生保内(おぼない)線という2つの盲腸線を出自としています。両線は大正11年と13年に開通していましたが、その実に45年後の昭和41年、鉄建公団敷設によりようやく最終区間が開通し、田沢湖線となりました。
最終区間は生橋線と呼ばれ、文字通り生保内(現田沢湖)と橋場を結んだものでしたが、実際は橋場線側は橋場駅の上り方約1キロ地点からの延伸でした。実は雫石〜橋場間(当時途中駅なし)は生橋線より20年以上前の、戦中の昭和19年に既に休止となっており、レールも貴重な鉄材として剥がされてしまっていました。そしてそのまま田沢湖線が全通したため、末端の橋場駅は休止のまま放置され、現在に至っています。
ちなみに田沢湖線全通直前の昭和39年、橋場線(レールは剥がされていたのでルートとしての橋場線)と、生橋線の分岐点付近に新規開業したのが赤渕駅。現在でも田沢湖線に残る、大した集落はなく、電留線もない赤渕駅からの不可解な終始発列車こそが、実は橋場線の何よりの生き証人なのかもしれません。(H24.11撮影)
手前は仙岩国道45号線。仙岩峠岩手県側のほぼ最も峠寄りの集落が橋場。小さな商店があったり、なんとなく駅前っぽい空気があります。橋場駅は正面奥にあります。 民家と民家の間を進む小路があります。民地のようでちょっと落ち着かないですが。
突き当たると土手上へ上る石段が現れます。これが橋場駅の、築堤上のホームへの階段です。 階段は角が削れ、コンクリートもひび割れており、かなりくたびれています。
階段を上り切ったところから、駅前を見た図。結構な高低差があります。そして実はここはもうホーム上です。 橋場駅のホーム跡。対向ホームがあり、2面2線の構内だったようです。さすがに放置されて60年も経つと、ホームに木が生えています。
路盤上から上り方向を見た図。終端側にはコンクリートの輪留めがあるらしいですが、藪がひどく分かりませんでした。 ホーム上にコンクリートブロック造の何かが。これは駅休止後につくったものではないでしょうか。
ホームに階段がありました。構内踏切跡でしょう。ホームそのもののコンクリートはクラックなども少なく、結構しっかりしているように見えます。 構内上り方はより鬱蒼としています。路盤の杉は人工林では。この方向に転車台跡の池もあるらしいですが、藪がひどいのと、民家が近いため、探しませんでした。
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